正氣塾三代目塾長『若島和美さんを励ます会』令和元年九月八日

正氣塾三代目塾長『若島和美さんを励ます会』

令和元年九月八日



 

先般、あらゆる民族運動の最前線で活躍を重ねておられる若島和美さんが、由緒ある政治結社 正氣塾の三代目塾長を継承されました。そこで若島塾長の更なるご隆盛とご健勝を祈念するとともに、指導者として後進育成へのご尽力を賜りたく、同憂・同志が集い『若島和美さんを励ます会』と銘打ち、盛大な祝宴が催されました。(発起人・阿形充規先生)

 


 

 



 





 

 



 

 



 

 



 

 




 

 



 



  





    



 



 



正氣塾と 三代目 若島和美塾長の

益々のご隆盛とご健勝を心より御祈念申し上げます


 


大嘗宮の伝統に基づく御造営を内閣・宮内庁そして国会議員に要請しませう〜大嘗宮(悠紀殿・主基殿)の屋根は千三百年の伝統を持つ茅葺きで〜

(緊急回覧・拡散希望)※頂いたメールを転載させていただきました

大嘗宮の伝統に基づく御造営を内閣・宮内庁そして国会議員に要請しませう

〜大嘗宮(悠紀殿・主基殿)の屋根は千三百年の伝統を持つ茅葺きで〜

宮中祭祀問題を考へる国民の会

 



一、趣旨
 

来る十一月十四・十五日、天皇陛下が即位後初めて新穀を皇祖天照大御神及び天神地祇にお供へになり、自らも召し上がられ、国家・国民の安寧と五穀豊穣を祈念される大嘗祭が執り行はれます。
 

大嘗祭は、古来日本人の生命を育んできた稲作と不離一体の祭祀である新嘗祭と同一の文化に根差し、しかも天皇が国民の協賛奉仕を得て一代に一回だけ行ふ国家・国民統合の姿を顕現する重要な儀式です。その国民の協賛奉仕の歴史的な形が、全国を代表して選ばれた悠紀国(ゆきのくに、今回は栃木県)・主基国(すきのくに、今回は京都府)からの新穀献上であり、両国の新穀を神々に奉る大嘗宮(その中心となる建物が、陛下が祭祀をなさる悠紀殿・主基殿)での祭祀です。
 

この大嘗宮の造営事業で現在、営々たる伝統の継承が断絶する恐れのある事態が進行してゐます。宮内庁は、材料調達の困難性や専門技術者の不足、工程や経費削減を理由に、大嘗宮の屋根はすべて「板葺き」とする方針を固守し、一部識者から「せめて神様をお迎へする悠紀殿・主基殿のみでも茅葺きにすべき」との要請の声が挙がるもこれを改めようとはしません。
 

大嘗宮は、天武天皇の立制以来屋根は「青草」(あをかや。茅)、柱は「黒木」(樹皮を剥がぬ丸太)との方針が千三百年以上に亘り厳守されてきました。この方針は戦国時代の長い大嘗祭中断の後にも復興・継承され、明治以降も大正・昭和そして平成とこの伝統の形は守られて参りました。
 

今回の造営事業に対する宮内庁の姿勢には、日本国及び国民統合の象徴である皇位の文化・文明的背景と一体の大嘗宮の伝統への配慮、真摯な課題解決への取組みが見られません。これは内閣総理大臣の管理の下で皇室に伝はる文化の継承を含む皇室関係の国家事務を所管する宮内庁の姿勢として言語道断です。
 

七月二十六日、皇居東御苑で大嘗宮の地鎮祭が行はれました。大嘗祭迄後三ヶ月余りの今こそ、国民が政府・宮内庁そして国民の代表である国会議員に事態改善を強く要請すべき時です。


 

 

二、皆様にお願ひしたいこと
 

 下記の方々に対し、「大嘗宮(悠紀殿・主基殿)が伝統の茅葺きで御造営できるよう善処してください」「千三百年年以上続く大嘗祭の伝統を宮内庁は破壊しないでください」等、封書・FAX・ホームページ書込み・電子メール等で8月15日頃迄に要請されますよう、お願ひ致します。下記の要請先リスト上のアドレスをクリックして要請されると便利です。

次項や文末のリンクを参考にお考へいただき、ご自分なりの言葉でお書きくださるとありがたいですが、簡単な文面、同一文面でも構ひません。


<要請先>

[政府]

内閣総理大臣 安倍晋三 様 

〒100-0014 千代田区永田町2-3-1 FAX 03-3581-3883

首相官邸ホームページ ご意見・ご感想フォーム(click!) 

 



宮内庁長官  山本信一郎 様
〒100-8111 千代田区千代田1-1 FAX 03-3201-6859
宮内庁ホームページ ご意見・ご感想フォーム(click!) 


 

 

[国会議員]

議員の方々には「国会内の有志議員で結束して首相に働きかけてください」と書き添へませう。

(大嘗宮の問題について既に質問・働きかけをして下さつたと伝へられる方)

 


衆議院議員 務台俊介 様  

〒100-8981 千代田区永田町2-2-1衆議院第一議員会館403号室

FAX 03-3508-3334(東京) 0263-33-0519(松本)
衆議院議員むたい俊介オフィシャルサイト(click!)

 

 


参議院議員 衛藤晟一 様  

〒100-8962 千代田区永田町2-1-1参議院議員会館1216号室

FAX 03-6551-1216(東京) 097-534-2449(大分)
えとうせいいちホームページ(click!)

 

 


参議院議員 西田昌司 様  

〒100-8962 千代田区永田町2-1-1参議院議員会館1110号室

FAX 03-3502-8897(東京) 075-661-6900(京都)
参議院議員西田昌司ホームページ(click!)

 

 


参議院議員 和田政宗 様

〒100-8962 千代田区永田町2-1-1参議院議員会館1220号室

FAX 03-6551-1220(東京) 022-796-3938(仙台)
参議院議員和田まさむねホームページ(click!)

 

 

 


(この問題につき理解があると考へられる方)

 

衆議院議員 稲田朋美 様

〒100-8982 千代田区永田町2-1-2衆議院第二議員会館1115号室

FAX 03-3508-3835(東京) 0776-22-0507(福井)
稲田朋美ホームページ(click!)

 



衆議院議員 大島理森 様

〒100-8982 千代田区永田町2-1-2衆議院第二議員会館812号室

FAX 03-3508-3932(東京) 0178-45-6193(八戸)
 大島理森ホームページ(click!)

 

 


衆議院議員 古屋圭司 様

〒100-8982 千代田区永田町2-1-2衆議院第二議員会館423号室

FAX 03-3592-9040(東京) 0573-25-6676(恵那)
古屋圭司ホームページ(click!)

 



衆議院議員 下村博文 様

〒100-8982 千代田区永田町2-1-2衆議院第二議員会館622号室

FAX 03-3597-2772(東京) 03-5995-4496(東京・板橋)
下村博文公式WEB(click!)

 

 


衆議院議員 新藤 義孝 様

〒100-8981 千代田区永田町2-2-1衆議院第一議員会館810号室

FAX 03-3508-3313(東京) 048-254-5550(川口)
しんどう義孝ホームページ(click!)


参議院議員 有村治子 様

〒100-8962 千代田区永田町2-1-1参議院議員会館1015号室

FAX 03-6551- 1015(東京)
ありむら治子ホームページ(click!)

 

 


参議院議員 山谷えり子 様

〒100-8962 千代田区永田町2-1-1参議院議員会館1107号室

FAX 03-6551-1107(東京)
山谷えり子ホームページ(click!)

 

 


以上の方々以外でも皆様が投票された地元の国会議員、信頼できると思はれる国会議員に封書・FAX・電子メール・電話・面談等で善処をお願ひしてください。

お盆期間なのでFAXの場合、東京・地元の両事務所に送信くださると幸甚です。

 




三、皆様に知つて頂きたいこと
 

・大嘗宮(悠紀殿・主基殿)の茅葺き屋根は千三百年に亘り継承されてきた伝統文化です

 日本にとつて空前の文明的変革であつた明治の大嘗祭に際しても、「悠紀・主基両殿の建造並びに殿内の儀式、御親祭の次第に至りては、一に旧典に従ひ…」(『明治天皇紀』)茅葺きの伝統を守つた先人の深い文明的な洞察と祈りを思ひ起こすべきでせう。


・茅葺き屋根は大嘗祭の本質と密接に関係してゐます

瑞々しいイネ科の多年草・茅(青草)はその旺盛な生命力から古来穢れや災厄を祓ふと信じられて参りました。大嘗祭の立制当時既に板葺きや瓦葺きの宮殿が造営され始めた中で、茅で葺かれた太古そのままの清浄な建物が、大嘗祭の核心であるイネの新穀(新米)を供へる祭祀に相応しいと考へられてゐたのです。先祖から脈々と継承されてきた暮らし(食住)の神聖でなつかしい原型を守ることは立制以来大嘗祭の根本精神だつたと考へられます。


・茅葺きには「真葺」と「逆葺」があり、「逆葺」は大きくコスト・工期を圧縮できるます

 茅葺き工法には平成大嘗祭迄の「真葺(まぶき)」と江戸時代以前の大嘗祭の「逆葺(さかぶき)」があり、古式で臨時建築に相応しい「逆葺」に戻せば予算は「真葺」の三五%で済みます。(茅葺き工法の専門家・安藤邦廣筑波大名誉教授)


・「板葺き」の上に装飾的な「茅葺き」を施せば、安全面や工期に影響する設計変更にはなりません

 伊勢神宮が採用してゐる茅葺きの下葺きに板葺きを行ふ工法を参考に、現段階の設計である板葺き屋根の上に装飾的な茅葺きを施す方法を工夫すれば、宮内庁が危惧する陛下が御奉仕される祭祀の安全性の問題、基本設計変更による工期圧迫の問題を解決できます。


・予算補填や茅葺き屋根実現のための手立てはあると考へられます

 宮内庁は物価高騰による皇位継承儀式の予算膨張を板葺きの理由として挙げてゐますが、大嘗宮の造営工事に関しては清水建設が予定価額の六割で落札した報道があります。低額な落札により節約された予算を伝統継承の為の仕様変更・追加発注に振り向けるべきでせう。また一般社団法人日本茅葺き文化協会によると、茅の材料と職人の手配も限られた予算と工期の中で可能であり、同協会も全面的に協力するとのことです。


・この度の皇位継承儀式は日本の文化・文明的風格を世界に知らしめる重大な行事です

 今回の即位礼には世界百九十五ヶ国から元首や祝賀使節の参列が予定され、来年には天皇陛下が名誉総裁をお務めになる東京オリンピツク・パラリンピツクが開催されます。世界の人々の眼が我が国に注がれる時、国費全体から見れば僅かの経費節約を優先して、大嘗宮造営の伝統を損ふのは避けるべきです。


 

 

四、参考リンク
 

・宮内庁の方針について

宮内庁は即位礼及び大嘗祭の実務を執行する為、昨年十月大礼委員会を組織、その第三回委員会(十二月十九日)で以下の大嘗宮造営方針を示しました。
 

「前回、平成度は、昭和度まで萱葺きであった帳殿などを全て板葺きへと変更する中で、悠紀殿、主基殿、廻立殿の主要三殿のみを萱葺(かやぶ)きとしたが、今回は、材料調達の困難性や特殊な専門技術者の不足などの状況を踏まえ、一定の工期内での大嘗宮の完成という全体工程上の要請に、コストの抑制などを併せ総合的に勘案した結果、今回は、主要三殿についても、材料調達が容易で工期の短縮が見込める板葺きに変更することとした。板葺きとすることにより、自然素材を用いて短期間に建設するという大嘗宮の伝統は維持し得るものと考えている。」(大礼委員会(第3回)議事概要)⇒宮内庁 大礼委員会 概要(クリック


 

 


【識者の論考】
 

・大嘗宮の行方 都立小岩高校主幹教諭・國學院大學兼任講師 中澤伸弘 氏(クリック)

・大嘗祭は茅葺きで 筑波大学名誉教授・日本茅葺き文化協会代表理事 安藤邦廣  氏(クリック)

・板葺ではなく茅葺を〜大嘗祭を古式で営む象徴行為としての屋根 九州大学大学院教授・文化審議会世界文化遺産部会委員 藤原惠洋 氏(クリック)

 

 

 


(緊急回覧・協力依頼)大嘗宮は茅葺きを!〜宮内庁の伝統破壊に抗議の声を届けましょう〜

(緊急回覧・協力依頼)

大嘗宮は茅葺きを!

〜宮内庁の伝統破壊に抗議の声を届けましょう〜

 

※頂いたメールを転載させていただきました。

緊急の協力依頼です。

新帝陛下が新穀を神々にお供えする大嘗宮(悠紀殿・主基殿)の屋根は千三百年来、茅葺きです。
宮内庁の心ない造営方針により、令和の御代にこの尊い伝統が破壊されようとしています。

この伝統を守るために、一人でも多くの国民の声を首相・宮内庁に届けましょう。
以下の三つの行動を至急お願いします。

1.貼付ファイルを読んでください。

(画像クリック)


2.至急、内閣総理大臣、宮内庁にFAXやウェブへの書き込み、電子メールで、無謀な造営工事を改めるよう要請してください。
「大嘗宮の屋根は茅葺きの伝統を守ってください」「政府・宮内庁は大嘗宮の伝統破壊をやめてください」等の短文メッセージで構いません。

3.一人でも多くの知人・友人に(できれば協力依頼の一言を添えて)メールを転送してください。また添付ファイルをダウンロードして手渡ししてください。

工事のスケジュール上、お盆前のこの時期にしっかりと要請しておきませんと、状況は非常に悪くなります。

仮令この要請活動が実を結ばなくても、それは公的な記録に残り後日検証材料となり、次代の大嘗祭での伝統復興の布石となります。
現憲法下で皇室祭祀を御守りするしっかりした法律のない今、官僚(宮内庁)は「先例」で物事を進めていきます。
国民が声を上げた記録がなければ、この令和で伝統は途絶え、復興さえもはるかに難しくなります。

真心ある努力は決して無駄にはなりません。皇居のお堀に沈む石垣の一つひとつと思います。
どうか協力をお願い申し上げます。

小田内


(至急回覧・転送歓迎)大嘗宮の屋根板葺は祭祀の伝統を損はないか

(至急回覧・転送歓迎)

大嘗宮の屋根板葺は祭祀の伝統を損はないか

 

※頂いたメールを転載させていただきました。

同志同憂各位

 

慎んで新しき御代の弥栄を祈念申し上げます。

本年は令和の元年、十月二十二日には即位礼正殿の儀が、十一月十四・十五日には大嘗祭が執り行はれます。

大嘗祭は、新帝陛下が即位後初めて新穀を皇祖天照大御神及び天神地祇にお供へになり、自らも召し上がられ、国家・国民の安寧と五穀豊穣を祈念される一世一代の大祭であり、皇位継承儀式の中で最も日本固有の文化的色彩の濃い祭典です。

 

古来日本人の生命を育んできた稲作と不離一体の精神文化の精髄である新嘗祭と大嘗祭は同一の文化に根差してゐますが異なる点があります。

それは新嘗祭は天皇と国民それぞれが毎年執り行ふ祭りであるのに対し、大嘗祭は天皇が国民の協賛奉仕を得て一代に一回だけ行ひ国家・国民の統合の形を顕現する祭りであることです。

その国民の協賛奉仕の形が、全国を代表して選ばれた悠紀国(今回は栃木県)・主基国(同じく京都府)からの新穀献上であり、両国の新穀を神々に奉る為の大嘗宮(その中心が陛下が祭祀をなされる悠紀殿・主基殿)での祭祀なのです。

大嘗祭を頂点とする天皇祭祀、それと不離一体の関係を持ち式年遷宮を頂点とする伊勢神宮の祭祀は、天地循環の周期(四季)に生かされてゐる生命の姿のままに、人間の生命活動を守り給ふ神々に生命活動の成果である新たな食・衣・住を定期的に供へ感謝・祈願するといふ形で一貫してゐると拝察致します。

それ故、食の中心である穀物が新穀であることはいふまでもなく、神々にお降り頂く御座所として住の要素を持つ悠紀殿・主基殿も変らざる伝統の形のままに新たに採取した茅(かや)で造営され、永遠の瑞々しさを表現してゐるものと存じます。

一世一代の大祭の為にのみ造営される大嘗宮は重大な文化・文明的意義を持ち、それ自体御座所として奉る意義が感じられ、単なる式典の会場と割り切り軽視できるものでありません。

 

その大嘗宮の造営事業に於て、現在、歴史・伝統・文化の営々たる継承が断絶する恐れのある事態が進行してをります。
 

昨日七月二十六日、皇居東御苑にて大嘗宮の地鎮祭が行はれました。
新聞各社の記事は宮中の祭祀を司る掌典職による祭典のあらまし、造営工事を清水建設が予定価額の六割で落札した事実を伝へてをりました。

11月の大嘗祭に向け、大嘗宮地鎮祭 ・産経ニュース(クリック)


ANNニュース(YouTube)

 

問題はこの造営工事の仕様・設計です。大嘗祭は現憲法下では「皇室の公的行事」と解釈され、憲法が内閣の「助言と承認」を要すると規定している「国事行為」ではない為、政府はその詳細を管掌することなく、所管である宮内庁が必要な事業を執行してをります。

宮内庁は即位礼及び大嘗祭の実務を執行する為、昨年十月大礼委員会を組織、その第三回委員会(十二月十九日)で以下の大嘗宮造営方針を示しました。

「前回、平成度は、昭和度まで萱葺きであった帳殿などを全て板葺きへと変更する中で、悠紀殿、主基殿、廻立殿の主要三殿のみを萱葺(かやぶ)きとしたが、今回は、材料調達の困難性や特殊な専門技術者の不足などの状況を踏まえ、一定の工期内での大嘗宮の完成という全体工程上の要請に、コストの抑制などを併せ総合的に勘案した結果、今回は、主要三殿についても、材料調達が容易で工期の短縮が見込める板葺きに変更することとした。板葺きとすることにより、自然素材を用いて短期間に建設するという大嘗宮の伝統は維持し得るものと考えている。」(大礼委員会(第3回)議事概要)

⇒宮内庁 大礼委員会 概要(クリック

 

大嘗宮(悠紀殿・主基殿)の建築は、天武天皇の立制以来「構ふるに黒木(樹皮を剥がぬ丸太)を以てし、葺くに青草(あをかや。茅)を以てせよ」との方針が厳守されて参りました。

その方針は古代の法令書といへる『儀式』や『延喜式』にも「践祚大嘗祭儀」の項で明示されてをります。千三百年以上に亘り、御代御代毎にこの屋根の葺き方は厳守され、戦国時代の長い大嘗祭自体の中断の後にも復興、そして継承されてきました。勿論、日本が近代国家の体制を整へた明治以降も、大正・昭和そして平成とこの伝統の形は守られて参りました。

その背景には、祭祀に於ける大嘗宮自体の尊貴な意味があり、それを守らむとされた歴代の陛下や多くの臣下民草の祈りと努力があつた筈です。瑞々しいイネ科の茅(青草)で葺かれた太古そのままの建物こそが、大嘗祭の核心であるイネの新穀(新米)を供へる祭祀に相応し、先祖から脈々と継承された衣食住のなつかしい原型を体現するものであつたからでせう。

以下に識者の論考をリンクします。

 

・大嘗宮の行方 都立小岩高校主幹教諭・國學院大學兼任講師 中澤伸弘 氏(クリック)

・大嘗祭は茅葺きで 筑波大学名誉教授・日本茅葺き文化協会代表理事 安藤邦廣  氏(クリック)

・板葺ではなく茅葺を〜大嘗祭を古式で営む象徴行為としての屋根 九州大学大学院教授・文化審議会世界文化遺産部会委員 藤原惠洋 氏(クリック)

 

伝統の尊さはそれを「継承」することにより維持・更新されます。生命と同様、「断絶」は伝統を大きく損ひます。

今、天皇陛下一世一代の大祭の伝統が、本来天皇陛下と皇室の尊厳を守るべき宮内庁の見識のない方針により、損はれようとしてゐます。

 

昨年十二月の第三回大礼委員会での造営方針が報道されて後、心ある国民は事態改善に向け動き出しました。
学識者の意見表明、神社関係者による報道・論評、そして伝統工法である茅葺き工法の関係者による宮内庁への要請・意見具申等、水面下で多くの動きがなされて来ました。

しかし宮内庁は現在迄のところ造営方針は既定として、心ある国民の声に耳を傾けようとはしません。
五月三十日に国会内で開催された「萱葺文化伝承議員連盟」の設立総会での宮内庁の担当者へのヒアリングでも、宮内庁側は「大嘗宮は板葺で発注をかけてる」「今回は残念ながら板葺きになる」との答弁に終始しました。

 

宮内庁は経費節約、材料調達や技術者の不足、工程上の都合を理由とするばかりで、日本国及び国民統合の象徴である皇位の文化・文明的背景を体現する大嘗宮の伝統継承に向け、真摯な課題解決への姿勢が感じられないのは国民として悲しいことです。

東京新聞(三月二十五日夕刊)の取材に対し、宮内庁の坪田管理部長(三月末退職)は「板葺きにすることで、自然素材を用いて短期間に建設するという大嘗宮の伝統は維持できると考えている」と答へてゐますが、大嘗宮は国民一般の使ふ住宅や家具とは違ひます。文化・文明的な深い背景があり、それを継承してきたあらゆる時代の日本人の祈りが籠つてゐるのです。
私達令和の時代を生きる日本人は千三百年以上続く伝統の断絶を新帝陛下に負はせ奉らねばならないのでせうか。

⇒大嘗宮に茅葺き残して 文化団体「日本の原風景 世界に発信」(東京新聞WEbクリック)

・大嘗祭でも消える茅葺き 専門家「歴史顧みない象徴だ」(朝日デジタル クリック)

 

茅葺き工法の専門家である安藤邦廣筑波大名誉教授は、大嘗宮造営事業の現段階からでも事態の改善が可能な方策を示唆する提言をされてゐます。

ヽ葺きの工法を平成大嘗祭迄の「真葺(まぶき)」を江戸時代以前の大嘗宮の屋根の葺き方であつた「逆葺(さかぶき)」に戻せば予算は「真葺」の三五%で済む、・宮内庁が懸念してゐる大嘗宮内で陛下が御奉仕される祭祀の安全性の確保の問題は伊勢神宮が採用してゐる茅葺きの下葺きとして板葺きを行ふ方法を参考にすればよい、3の材料と職人の手配も(一社)日本茅葺き文化協会の調査では限られた予算と工期の中で十分に可能、ぢ臂┻椶粒葺きについては同協会も全面的に協力する、等です。

技術的コスト的に無理がないものであれば、発注者側からの仕様変更により、工事の内容を調整することは可能かと存じます。


・一般社団法人日本茅葺き文化協会(クリック)
 

地鎮祭が済み、残る工期は三ヶ月と思はれます。
宮内庁の柔軟な思考と伝統継承に向けた英断、工事受注企業の誠意、関係する民間技術者の技能、有識者の知見の全てを動員・傾注し、日本の文化・文明の風格を顕現する古式ゆかしい大嘗祭をお祝ひすることはできないものでせうか。

今回の即位礼には世界百九十五ヶ国から元首や祝賀使節の参列が予定され、我が国始まって以来のグローバルな式典になるものと思はれます。

また、来る令和二年には天皇陛下が名誉総裁をお務めになる東京オリンピック・パラリンピックが開催される関係もあり、世界の人々の眼が我が国の皇位継承儀式に注がれるでせう。

その様な重儀の斎行に当り、国費全体から見れば僅かの経費節約と事務的手続きの確実性のみを優先して、悠久の歴史を持つ大嘗宮の建築様式を変容し悪しき前例を作ることは、皇位の国際的尊厳を損ふことになりはせぬかと憂慮するものです。

 

所管官庁である宮内庁、更には国民を代表し皇位継承儀式の歴史・伝統・文化に基づいた斎行に責任を負ふべき政府や理解ある国会議員諸氏に国民の衷心からの声を伝へるべき時かと存じます。

宮内庁ホームページ ご意見・ご感想フォーム(クリック) 

首相官邸ホームページ ご意見・ご感想フォーム(クリック) 

 

仮令国民の要請の声が当局を動かすに至らなくとも、それは公的な記録として残り、次回以降の大嘗祭をより本来の姿に近付けてゆく為の布石となります。

古来日本人は天壌無窮の神勅を信じ、悠久の理想に真心を尽し、本当に大切なものを守つて来ました。

 

国民の皆様が一人でも多く、この問題に関心を持たれることを乞願ひ所信を送らせて頂きました。

同志同憂、友人知人へのこの問題の周知にご協力賜はれば幸ひです。

 

新嘗の会 世話人 小田内 陽太 


新橋駅定例演説会7/31(水)

新橋駅定例演説会7/31(水)


 
7月31日水曜日の新橋駅前演説会です。こちらも24日と同じく写真掲載のリクエストが御座いましたので、遅ればせながらUPさせて頂きました。
 










 


 
梅雨が明け、暑い暑い新橋でした。お集まりくださった皆様に感謝申し上げます。

新橋駅定例演説会7/24(水)

新橋駅定例演説会7/24(水)


 
7月24日水曜日、参議院選挙が終了し、3週間ぶりと成った新橋の演説会です。写真掲載のリクエストがありましたので、遅ればせながらUPさせて頂きました。
 

 

 

 

 






 




 
この日の新橋は、翌日から「新橋こいち祭」があるそうで、暑い中、作業員の方が会場の準備に追われていました。毎年この祭りの準備を見ると、もう一年が経ったのかと夏を実感します。
 
 

 


 

「真心の侍」

「真心の侍」

真心とは、辞書によると『他人のために尽くそうという純粋な気持ち』とある。また「しんしん」と言い『迷いや疑いのない真実の心。また、純真無垢な心』であると解説する。

二つの意味を併せて、人に当て嵌めてみると『他人のために純粋に尽くし、迷いや疑いの無い真実の心を持つ人』ということになる。

令和元年、この僅か二ヶ月足らずの間に、国内では凄惨な事件が相次いでいる。児童を狙った無差別殺人、親殺し子殺し、警察官襲撃事件・・・。生きるために食べ物を必死に求めていた貧しい時代ではなく、食料が満ち溢れ年間600万トンの「食品ロス」を抱える我が国内の現在における事件である。

 

『万能足りて一心足らず』・・・取り合えず、生きていく糧はなんとか持ち合わせているが、心にまことが欠けている人々が巷に満ち溢れている。

 

そんな現代に、「真心」を持って国や他人を思いやり、自分の信じた道に迷いや疑いを持たず、まことに命を懸けるという「侍」のような人が、本当に・・そして身近にいたんだということを教えて頂いたと同時に、この自分の不甲斐無い半生を振り返ると、今は恥ずかしくて堪らず、なんとも言いようのないどうしようもない気持ちでいっぱいです。

令和元年六月二十三日、靖国会館にて「沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ」が行われました。沼山さんの人柄は、多くの諸先輩方が言われている通り、本当に年上だとか年下だとか関係なく、とにかく心配りをして下さる方でした。故に、私もまた沼山さんの真心にふれ、陰ながら沼山さんを尊敬しお慕いしていた一人です。

沼山さんと初めて言葉を交わしたのは、ずいぶん前の話に成りますが、ある右翼活動家が呼びかけをして行われた抗議活動の現場でした。とにかく行く先々でお見掛けしていたので私の方からご挨拶をさせて頂きました。それからというもの、私は沼山さんとは比べようのない若輩者であるのに、沼山さんは抗議デモや勉強会の会場で私を見つけると丁重にご挨拶をして下さいました。

驚かされたのは、私はいつも職業柄、カメラを持って駆けまわっているのですが、あるパーティーでいつも通り出席者の皆さんを撮影していると、沼山さんが「ご苦労様です。ちょっと、そのカメラを貸して下さい」と言って私のカメラを手に取ると、そのカメラを私に向けて「いつも撮ってばかりだから、たまには写ってください」と言って、私をカメラで撮ろうとして下さったことです。

他人を撮ることには慣れている私でしたが、自分が撮られることには慣れていなかったので、「私のような未熟者が写真に写るのはまだ十年早いです」というようなことを言ってお断りをしたことがありました。それでも別の機会に何度か同じように声を掛けて頂き、沼山さんにカメラで撮って頂きました。

街宣の遠征先で集合写真を撮っても、常に他人にカメラを任せることの無かった私は、気が付けばこれまでの活動に関する自分の写真が一枚もありませんでした。沼山さんのさりげない『真心』が切っ掛けで、私も今では活動の布石として写真に写るようになりました。

また何年も前の話ですが、石和温泉(山梨県)で催された大吼出版の新年会に出席した際、隣の席になった沼山さんが、私が仕事の都合で宿泊しないで帰ることを知ると、「私も宿泊しないで帰らないといけないので、よかったら私の車で一緒に帰りましょう」と言ってくださり、家まで送ってくださったことがありました。このとき、一緒に帰ると言っても私は埼玉で、沼山さんは都内の御自宅ですから、申し訳ないと思って断ったのですが、沼山さんは「取り敢えず方向は一緒だし、ついでですから」と言って車に乗せて下さいました。

道中、帰る途中に毎年楽しみにしている景色があると言って、公道の橋の上から、小さな集落の灯りを見下せる場所を教えてくれたのを覚えています。これと同じように靖国神社の境内でお会いすると、年下の私に驕り高ぶることなく神社のゆかり等、知っていることをそっと教えてくださいました。遠い山梨からの帰路は二時間半くらいの道のりでしたが、色々な話を聞かせて頂き、あっという間でした。

途中、携帯で誰かとメールのやり取りをしていたので、心配になって訊ねたら、学生の娘さんがアルバイトが終わってファミレスで待っているということでした。女の子が遅い時間までバイトをしているので迎えに行く約束をしていたようです。「何か好きな物を食べて待ってろと言ってあるから大丈夫ですよ」と沼山さんは笑って言っていましたが、私が埼玉で車を降りた時は、既に時計は夜十一時半を回っていたと思います。娘さんを迎えに行く頃には午前零時を回っていたに違いありません。その娘さんの姿をこの度靖国会館で初めてお目に掛かることができ、沼山さんとの出会いと真心を思い出しました。

 

諸先生諸先輩方のお話から、沼山さんの活動と経歴の深さを知り、その崇高な精神に敬意を込めて『真心の侍』だと感じました。私など数えるほどしか言葉を交わしておりませんが、それでも感じることのできた沼山さんの素朴なお人柄を伝えたくて、とりとめのないことを書いてしまいましたがお許しください。合掌(関口拝)







 


「沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ」令和元年6月23日

「沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ」

令和元年6月23日


(クリック)







令和元年6月23日、靖国会館にて『沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ』がしめやかに営まれ、会場には入りきれないほどたくさんの人が集いました。


友人一同を代表して荒岩宏奨様より『沼山光洋さんの志操と行動について』詳しくお話がありました。沼山さんは靖国会の事務局長として知られていますが、その靖国会という組織の始まりについて先ず説明がなされました。

昭和35年に起きた山口二矢烈士による
社会党の浅沼稲次郎党首刺殺事件に衝撃を受けた塙三郎先生が、
「日本の再建は天皇と国民が一体となることが大切である」、「その軸と成るのは、陛下も御神拝あそばされ、国民も参拝する靖国神社のほかにない」という思いから、8月15日に特別参拝を挙行すべきだということを神社側に申しつたえたところ、当時の神社側は8月15日は英霊の最も悲しい日であるから、そういうことはいたしませんと返答されたそうです。
しかし、「最も悲しむ日だからこそ、その日に国民が英霊の前で日本の再生を誓わなければならないのだ」ということを再度申し入れたところ、理解を得られて昭和36年8月15日に第一会靖国忠霊祭が行われる運びとなったのだそうです。その忠霊祭という言葉を意識して、沼山さんは靖国神社の御霊を「英霊」とは呼ばず、天皇陛下に忠義を尽くした英霊であることから「忠霊」であると呼んでいたそうです。

詳細は靖国会のホームページに以下の通り記されています。
『編∃鬚諒發漾騒編∃鬚蓮⊂赦損綾集淒十月浅沼稲次郎社会党党首刺殺事件に衝撃を受けた塙三郎先生が「日本の再建は天皇と国民が一体になる事だ。その軸心になるのは編⊃声劼里曚はあり得ない。陛下も編⊃声劼鮓羯嫁劼砲覆蕕譴襦9駝韻醗貘里砲覆襪里蓮英霊の祭られている編⊃声劼里曚は絶対にない。」と水戸愛郷塾橘孝三郎の友人山本健介老に協力を得、編∋嫁匆颪鬚弔ろうとなった。二人は徳川義親公をたずね参拝会の中心人物になって貰うことを約した。さらに今村均元大将に会い一も二も無く賛成を頂いた。他にも元海軍大将高橋三吉氏や元将官たちが加わり参拝会が発足した。その後八月十五日の終戦の日には、特別の参拝をすることを全会一致でやることにし、編⊃声劼痢崔單栂蛭権宮司に相談したところ「八月十五日は、英霊の最も悲しむ日であるから神社としてはやらない」との返事であった。再度権宮司に面談し「英霊の最も悲しむ日であるからこそ、私達国民は、英霊の前で日本の再建をお誓いせねばならないと思う。」という理由を訴えたところついに神社は、「皆さんが御希望であるならば、やってもよい。」と神社から許しを頂いた。翌昭和三十六年八月十五日第一回編忠霊祭が二十名ぐらいの参加者で執り行われた。徳川義親公を総代に今村均元大将が副総代に、山本健介老が事務局長、塙三郎副事務局長体制が発足した。』

靖国会の創設者である塙三郎先生は、水戸愛郷塾・橘孝三郎門下生であり、五・一五事件では田端変電所を襲撃しているそうです。また橘孝三郎娘婿でもあるそうです。

沼山さんは、その橘孝三郎先生の門下である愛郷塾の大嶋幹男先生との出会いから現在に至る保守本流の活動に邁進してこられたのだそうです。橘孝三郎先生の孫弟子であることから、橘孝三郎先生の愛郷精神「土とま心」という言葉を意識して、至る所で『まごころ』という言葉を大切に用いていたそうです。

沼山さんは天皇陛下の靖国神社への御神拝を並々ならぬ思いで祈念し、その環境を平成の御代に整えようと誠心誠意をもって活動されておりましたが、5月11日に自決されました。

遺言を踏まえ、決して皆さんに誤解して欲しくないこととして、3点ほど憶えてほしいと以下のことが伝えられました。


1、これは自殺ではなく自決であること。

2、天皇陛下の御神拝を祈願し全国の護国神社を巡拝した際、御祭神に命を懸けるとお誓い申していたこと。

3、決して陛下への諫言ではなく、御神拝の実現を整えることが出来なかったことへのお詫びであること。

その思いは、『新時代令和を迎えて』と題された遺言と思われる手記に込められているのでぜひ目を通していただきたいです。

御来賓の先生より追悼のご挨拶があり、沼山さんの人となりが語られました。

  


 
田母神俊雄先生は、靖国会の事務局長を長年務めてくれていた沼山さんが靖国神社前の道路上で割腹自決を遂げたことについて、「彼は日本国民の愛国心が足りなくて天皇陛下の靖国御親拝の環境が整わないことは天皇陛下に申し訳ないといつも言っていた。国民の中には私の発言に対して、自殺を奨励するのかといった軽薄なことを言ってくる人もいるが、全くの間違いだ。このままでは日本は転落してしまうということを、彼は命を懸けて国民に警鐘を鳴らしてくれた。命を懸けてこの国と国民を守ろうという崇高な精神を持つ立派なだったんだ。」とその思いを語られました。


【追記】
沼山さんの盟友で沼山さんが信頼を寄せておりました三澤浩一先生が、沼山さんの自決から三日後に気持ちを伝えるべく各位に宛てたメールがあります。ぜひ読んでいただきたく、勝手ながら転載させていただきました。
沼山さんに戴いた真心に  感謝を込めて御冥福をお祈り申し上げます



 

 



 








 

禊祓厳修会の集い・小山市街頭演説会/令和元年6月1日(土)

禊祓厳修会の集い・小山市街頭演説会

令和元年 6月1日(土)

令和に成って、ちょうど一ヶ月と成る6月1日、栃木県小山市駅頭にて「禊祓厳修会」の主催による街頭演説会が行われました。この演説会は毎年定期的に行われています。平成31年3月16日に続き、司山会 楠 誠 会長にお誘い頂き、弊社も参加させて頂きました。我が国が敗戦の歴史を刻んだ昭和という時代が、遥か遠い昔のように成りつつある中、戦勝国の主導の下に行われてきた戦後教育の弊害により、先人たちの崇高な精神が忘れ去られようとしています。先人たちは、命を懸けて日本の明るい未来を後世に託しました。
しかし乍ら、今日も昨日も一昨日も、親族間の殺人事件や、自暴自棄の者による無差別殺傷事件といった凄惨な事件が相次いで起きています。私たちの活動の意義と必要性が益々増しているのではないかと感じ得ずにはいられません。国体護持、国家主権、家族の絆、環境破壊、道徳の荒廃、我が国が抱える諸問題を様々な視点で訴えました。


 



 

 

















 

令和元年 五一五奉納演武『武魂継承祭』

令和元年

五一五奉納演武『武魂継承祭』



 
 令和元年五月十五日、初夏を思わせる晴天の下、靖国神社能楽堂にて、恒例の五一五奉納演武『武魂継承祭』が行われました。

この奉納演武は、今から八十七年前の昭和七年五月十五日に起きた五一五事件の意義を継承し、歴史を風化させない為、事件で犠牲になられた犬養毅命・田中五郎命・事件に携わられた青年将校・陸士候補生・民間の方々全ての御霊を案じると共に、区々たる一身を顧みず世直しに起ちあがった五一五烈士、祖国の永劫を祈りつつ戦陣に斃れられた二百四十六万六千余柱英霊の御霊に、感謝のまごころを籠めて鍛錬の成果を奉納するため、大地社 水谷浩樹代表と志を共にする武道家達によって毎年執り行なわれている崇高な催しです。

五一五事件は、塗炭の苦しみをなめる農民・労働者を憂い、政権党利に盲ひたる政党と之に結託して、民衆の膏血を搾る財閥に対し、檄文「日本国民に檄す」に見る主張のもと、五一五烈士が昭和維新を念願し決行した事件です。


国歌斉唱



 



 




大地社 水谷浩樹代表

 



 

 





 



 

 



 



 





 



 

 





 







 



 



 

 






 


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