命


「命」という言葉を広辞苑で調べると、生物の生きてゆく原動力、生命力。とある。

自らが死に直面することや、

大切な人の死と直面することで、死生観は養われていく。

祖霊を敬うことや、家族でお墓参りに行くことは、死生観を養い、生物が生きてゆく原動力、生命力となるから大切であると思う。


家族や他人との愛情や関係が希薄と成れば、死生観も希薄となる。

命の尊さが育まれないということだ。

 

昨今、頻繁に起こる友人、知人、家族間での殺人事件は、そんな背景が少なからず影響しているのかもしれない。


ところで、

先日の夜、バイクを乗って走行中の出来事である。

突然、ガシャリという音と共にハンドルに大きな衝撃を受け、激しく転倒してしまった。

何が起こったのかよく分らぬまま、道路に転がっていた私は、ポケットの携帯電話(スマホ)は大丈夫か?ということが頭に浮かび起き上がった。

そして倒れたバイクを起し、路肩に寄ってバイクを見た。

するとタイヤを支えている左右の柱(フロントホーク)の一つが折れていた。

これではハンドルがコントロール不能になるのは当然だ。

信じられんことだと怒り心頭に、メーカーが悪いのか販売店が悪いのかと考えながら、バイクを押しながら歩き始めた。

歩き始めたことで少し冷静に周りを見れる様になって、バス停もないのに対向車線で停まっていた市営バスが動き出したことに気がつく。
心配して停車し、様子を窺っていたようだ。

転倒した直後は、無我夢中でくだらない事に意識がいくものだと反省。

歩くのを止め、冷静に体を見ると、右ひじから血が流れていた。

肩も痛い。

考えてみると、後続車がいたり、対向車線に投げ出されていたら、命を落としていたかも知れない。

雨が降っていたので、半袖シャツの上に厚手のバイク用のレインコートを着ていたことも幸いだった。

濡れた路面で体は滑り、レインコートは破れたが、肘を擦り剥く軽傷で済んだのだ。

この話を家族や友人にすると、バイクの欠陥で死ぬところだったのだから、メーカーが悪い、販売店が悪い、と言う者もいれば、

お盆の時期だから、祖霊が寂しがって連れて行こうとしたのだという者や、それに勝って私の体を守ってくれた祖霊がいるのだという者もいる。

いつも左手首にしている数珠のアクセサリーが、大日本忠誠同志会の故・松崎忠男総裁に海外旅行のお土産で頂いたものだから、「総裁が護ってくれたんだとよ」と言い出す人もいる。


一つの物事でも、考え方は人それぞれだ。


しかし時間が経過し冷静になるにつれ、心に余裕が生まれて、事故の原因や業者へのクレーム探しよりも、軽傷で済んだことへの感謝、骨太で丈夫な体に生んでくれた親への感謝、自分の過失で他人を傷付けるような事故にならなっかったことに感謝する気持ちが生じてくる。

常に、心にゆとりをもった冷静な判断で、物事を様々な見地で考え、見極めることを心掛けたい。

 

今、生き長らえているのは天命により、やり遂げなければならない事があるからだろう。

先祖の墓石を前にして、敬天愛人、西郷南洲翁の遺訓をしみじみ感じ、天を敬い、祖霊を敬い、天地自然の摂理によって育まれ、護られてきた命の尊さに思いを致すお盆休みと成りました。

 

因みにバイクは、20年以上前に販売されたホンダのスクーターで、古物商から4万円という激安価格に釣られて購入した物である。
購入した当初は、いつ壊れるか分らないから警戒しながら近所でのみ乗っていた。

しかし、一年以上も何事もなく乗っていたから、さすが世界のホンダだと満足し、遠方にも乗り回していたところであった。

しかし、バイクに詳しい知人の見解は、今日まで何事もなかった事が奇跡であり、壊れて当然であると冷ややかであった。

 

 

 

 

 

 


 


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  • 2017.11.18 Saturday
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