命の値打ち

命の値打ち

9月28日、三重県伊勢市で高校3年の女子生徒(18)が刺殺された事件で、同じ高校に通う3年の男子生徒(18)が逮捕された。警察の調べに対し男子生徒は女子生徒から「殺害を頼まれた」と供述しているという。

刺し傷は心臓に達するほど深く、あおむけに横たわっている女子生徒の左胸を包丁で刺したと供述しており、女子生徒が抵抗した形跡もないという。

この事件を受け、2人が通う伊勢市内の高校の校長が昨日30日記者会見を開き、2人の関係について「親友で相手を信頼していた」と説明した。

警察は現場の状況などから嘱託殺人の可能性もあるとみて、慎重に調べているそうだ。

嘱託殺人とは、本人から依頼されて殺すことだ。他人をそそのかして決意を生じさせ自殺させたり、死を望む本人から依頼されて殺したり、自殺を手伝ったりする自殺関与罪(刑法第202条6か月以上7年以下の懲役または禁錮)に該当する。

それにしても、本当に次から次えと色々な殺人事件が起きるものだ。知人の刑事と「この前の高校生の殺人が・・」などという話をしていても、どの話だかもう分からないくらいだ。

高校生が逮捕される事件が相次いでいるので、つい「今どきの高校生は」とか「今どきの若者は」と現代の若者の特別な問題として関心が高まるが、連日起きている殺人事件は「今どきの大人」も然りである。

今、起きている殺人事件は、もはや大人も子供も学歴も職業も関係ないだろう。高校生であろうと警察であろうとラーメン屋さんであろうと親であろうと子供であろうと関係ないのである。

安保法を戦争法と揶揄し、命の尊厳を重んじ、理想的平和国家を訴えるのもいいが、目の前で起きている殺人事件の数々に目を背けてはならない。

どこでどう命を尊ぶ教育が間違ったのだろうか。個人主義、自由、人権を尊重するあまり、死ぬのも殺すのも自由と勘違いしてはならない。

社会が「暴力団」と呼称し、嫌ってやまない人たちの最大の脅し文句は「殺すぞ!」である。

なぜ脅し文句にしているかと言えば、それが相手にとって最大の脅威であると考えているからだ。その一方、最後の手段と理解しているから、余程のことが無い限り実行には至らない。それは、殺すことの罪の重さを理解しているが故ではないか。だから生業の武器の一つとして脅し文句に成り得るわけだ。

「暴力団」は命の値打ちを知っているということだ。

一方、現在一般社会で起こっている一般社会の人たちによって起きている殺人事件の「愛人を養うため」「遊ぶ金が欲しかった」「性欲を抑えきれなかった」「相手は誰でも良かった」「親友から頼まれた」という動機の数々は、全く相手の命の尊さを重んじていないものばかりだ。

つまり、命の重さの理解度は、「暴力団」と言われている人たちよりも、一般人の方が劣っていることになるのではないか?

一般人といっても、事件を起こしているのは一部の不甲斐無い人達だと安易に考えてはならない。

一般社会に蔓延している身近な問題が、身近な人達による身近な殺人事件を起こしているのだ。

現代を生きる私たちが考えなければならない事は何か。社会が抱える最大の懸案は何か。

それは生きていることの原点、「命」の尊厳を何と心得ているのかということではないか。

この世に正義と悪の境界線を引く前に、命の値打ちも解らない、善悪を騙ることすらできない世の中に成り下っていることに一刻も早く目を覚まさねばならない。

社会に蔓延る最大の不条理である。

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