甘利明と「政治家の矜持」

甘利明と「政治家の矜持」

「矜持」という言葉がある。

意味を辞書で調べると、「自信」「誇り」「プライド」とある。

週刊文春の記事が発端で、現金授受問題で騒ぎとなった甘利明が、経済再生担当相を辞任した。

甘利明は辞任を表明した記者会見で、

「秘書の監督責任と、政治家としての矜持に鑑み、閣僚の職を辞する」と語った。

更に、

「たとえ私自身は知らなかったとはいえ、(秘書に)責任転換できない。政治家としての美学、生き様に反する」

とも語った。

なんとも潔く格好のよいセリフである。

だがしかし、政治家の矜持に鑑み、己が責任を取らねば「政治家の美学、生き様に反する」と、そこまで言うのなら、議員を辞職してこそ、そのセリフが本物であるといえるのではないか。

甘利明は、潔く議員を辞職するべきである。

また、「安倍首相の任命責任」ばかりを問いたがる民主党や野党は恥を知れ!

問うべきは、首相の任命責任ではなく、先ずは甘利明の議員辞職である。

なぜ野党は議員辞職を問えないのか?明日は我が身と成り兼ねぬ「政治とカネ」の問題だからではないのか?
「安倍首相の任命責任」ばかりを問いたがるのは、国民を蔑ろにした党利党略しか頭にないことの証左ではないか。

閣僚を辞任したところで、毎月129万円もの歳費と第二の報酬と揶揄されてきた文書通信交通滞在費100万円、期末手当635万円、が貰えることには変わりない。閣僚を辞めたからといって問題議員に何のペナルティーがあるというのか?

閣僚の辞職や失政の度にペナルティーを負うのは、全て国民ではないか。

一般企業で働く者たちは、不祥事を起こせば減給、左遷、解雇が当たり前である。長年従事してきた職業に、己と家族の生活と運命が係っているのである。生きるか死ぬか家族の命運が係っているといっても過言ではない。

国民の生命と財産を担っているのが国会議員であるならば、生きるか死ぬか国民の命運が係っているのが国会議員ではないか。そのような職責ゆえに、選挙の際は「国民の皆様のために命を懸けて頑張ります!」とか、「政治生命を掛けて戦います!」と意気込みを語るではないか。


甘利明に限った話ではなく、これまでも多くの閣僚が「政治とカネ」の問題を問われ辞任してきた。しかし議員は辞職せずに、今も尚、のうのうと国会に在籍している者が何人もいる。何度も繰り返されてきたことである。


私が言いたいのは、議員を辞職しないなら、閣僚という重責を途中で投げ出すなと言うことだ。議員を辞めるほどの問題ではないと思っているなら閣僚を辞めるな!ということだ。

逆に、閣僚を辞めなければならないほどの問題を起こしたと思っているなら議員を辞めろ!ということだ。

甘利明は、日本の経済再生を担う中心人物ではないか。TPP交渉を担ってきた大切な重責を任されていたのだろう。

甘利明が、本気で国の事を考え、議員を辞める必要はないと思っているのであれば、「今後、歳費は要らないから、任期が尽きるまで経済再生相をやらせてくれ、最後までTPP交渉を命がけでやる!」というべきであった。

それが言えない疚しさや不正があり、政権に支障を来たす恐れを感じているのであるならば、閣僚だけでなく議員を辞めろということだ。

それくらい政治生命と命を掛けて、国民の行く末を担っているという気骨を持ってこそ、政治家は「政治家の矜持」を語れるのではないか。すべての国会議員にそういう気持ちと、失敗をしたときは腹を切る覚悟を持ってほしいという事だ。そのような気骨と覚悟を持っていれば、そう易々と悪さなどできないだろう。

国の行く末、国民の生活が係っているのだ。自分の失政により、国民が苦しむことになり、今日もどこかで幼い子供たちを道連れに一家心中をしている家族がいるかもしれない。そんなことを考えたら、政治にまつわる話し合いをするのに、その都度高級料亭で飯を食おうなどという気持ちにはならない筈である。

国会では、雇用の問題や、高齢化社会に伴う介護職の人手不足や低賃金が切実な問題と成っている、と議員たちはいう。だが、議員の歳費をカットして、少しでも不足している予算に充当しようとなぜ誰も言わないのか?東日本大震災の直後はカットしていたではないか?何故18万人も未だ避難生活を余儀なくされている被災者を前にして、歳費を元に戻したのか?なぜ国民のために先ず己が身を削って少しでも貢献しようという事をしないのか?

逆にもっと歳費を上げればよい政治をやってくれるのか?歳費が少ないから悪さをするのか?
ならば高級料理を食い、高級な衣服に身を纏い、高級車に乗るのも構わない。それに見合う仕事をしてくれればいいよ。そしたら多少の悪さも目を瞑るよ。でも、今の政治家は食い逃げヤリ逃げのレベルである。

確かに「身を切る」をスローガンに掲げていた政党もいたが、党がバラバラになってしまい、違う意味で身を切る結果となってしまったではないか。

今の政治家が、役職を解かれた程度で責任を取ったと軽々しく「政治家の矜持」などと語るべきではない。国民の血税を食い物にした、飛んだ茶番劇である。

政治の不祥事は、政治家の倫理を厳しく問う法律を作らない全ての政治家の連帯責任である。閣僚が辞任しなけらばならない不祥事や議員が辞職しなければならない事件が起きたら、国民の全てに迷惑が掛かるのだから、それこそ議員全員の報酬をカットすればいい。それを議員辞職に伴う補選や解散総選挙の資金に回せるではないか。選出した国民が馬鹿を見るのは道理だが、国民ばかりに責任を課すことはなかろう。

ところで、間抜けな民主党が今年夏の参院選に向け作製した新しいポスターに「民主党は嫌いだけど、民主主義は守りたい」というキャッチフレーズを入れたことで、元AKB48前田敦子の名言「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」のパクリではないかと話題になっている。




挙句の果て、民主党内からも自虐的だと批判に晒されているというが、馬鹿としか言いようがない。

正しいパクリ方は、「甘利明のことは嫌いでも、安倍政権のことは嫌いにならないでください!」である。




自民党に代われる政党は今のところ無い。

毎週水曜日、新橋の演説会で二十代の松田弁士が、今の国会議員は必要ない人ばかりだ!と叫ぶのも無理ないな。

これが若者の声である。

18歳に選挙権?政治家はどの面下げて言っているんだ。



 

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  • 2018.11.19 Monday
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  • 17:49
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