旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場

旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場は、満州事変勃発後に航空兵力増強の気運が高まる中、昭和10年(1935)12月、現在の航空自衛隊熊谷基地の位置に開校した熊谷陸軍飛行学校分教場として、昭和12年(1937)6月に現在の埼玉県桶川市田谷に開校しました。

 

昭和20年(1945)2月までに、航空兵を希望した召集下士官や少年飛行兵など、ここで教育を受けた若者は、推定1500〜1600人にのぼるそうです。

昭和20年2月以降は特攻隊の訓練基地として使用され、4月5日には、陸軍初の練習機による特攻隊、振武第79特別攻撃隊12名を鹿児島県知覧町へ送り出したそうです。

戦後は、引き揚げ者らが暮らす市営住宅として使用され、最も多い昭和56年頃には64世帯、約300人が暮らしていたそうです。戦後、各地にあった特攻隊の訓練基地等は解体されて残っていないそうですが、桶川分教場は引き揚げ者の住宅として使用されたことにより、現代まで残ったという稀なケースなのだそうです。敷地内には現在も守衛棟・車庫棟・兵舎棟・弾薬庫などが残っています。また荒川対岸には、飛行訓練に使用した滑走路があります(現在は本田航空が使用)。

 

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しかし、老朽化に伴い平成19年(2007)に居住者が居なくなると、市は建物を取り壊し、土地を国に返還する予定でいたそうです。

そこで、遺構の保存を求める声が相次ぎ起こり、1万4000人分の署名が市と県に出され、市は平成22年(2010)に購入し、平和を考える場として活用する取り組みに至っている。

戦争の歴史を正確に後世へ伝えるため、建物の保全と有効な活用を呼び掛けているのは、分教場の元飛行機整備員・柳井政徳さんや市民有志でつくるNPO法人「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」です。

 

 


各紙報道3枚(クリック)


この桶川分教場の歴史を背景に描かれた舞台(演劇)「失われた過去を求めて/ああ!陸軍飛行学校桶川分教場〈特攻隊〉」が桶川市民ホールにて8月6〜7日に行われました。

 

 

失われた過去を求めて (表)

スタッフ・キャスト詳細(クリック)

物語は、現在世界で勃発している犯罪テロと、嘗て国を憂い愛する者を護らんと命を賭した特攻隊との違いが分からぬ若者までいるという歴史の風化に、戦死した父の遺影を前にして悲しみ嘆く父親と、戦争は大昔の話しだと吐き捨てる娘の対話から始まる。そこに東京大空襲で命からがら桶川市へ逃げてきた経験を持つ近所の御婆さんの回想を交え、陸軍飛行学校桶川分教場から特攻に出陣する若者たちに焦点をあて、現在と過去を巡る。

劇中、東京大空襲で、女性や子供たちが逃げ惑い焼け死んで逝くシーンは、アニメやスクリーン越しに見る映像とは違い、苦しみ悲しみを実感できるものであった。また、特攻に出陣が決まった若者たちが、家族に最後の手紙を書く事を上官から許され、それぞれ親愛なる人に気持ちをつたえるシーンは、伝える者と伝えられる者の悲しみを深く感じることが出来た。客席では、彼方此方ですすり泣く音が聞こえた。会場は満席であるが、見渡す限り七割が高齢者である。私の前に座っている白髪の女性も八十代と思われるが、ハンカチで時々涙を拭っていた。きっと私などが単に物語に感動して流す涙とは違い、過去の実体験を思い出し、重ね見ていたのではないだろうか。今の平和の礎に何があったのか。高齢者の心の奥底に閉ざされた記憶。本当は、もっとたくさんの若者たちに知ってほしい物語である。そんな意向が「旧陸軍桶川飛行学校」の保存には込められているのではないか。埼玉県民として、もっともっと身近な歴史に目を向け、継承していくことの大切さを学ばせて頂きました。

尚、この公演は8月14日午後7〜9時に、テレビ埼玉で放映されることが決まったそうです。埼玉県にお住いの方に限られてしまうかもしれませんが、テレビ埼玉を視聴できる環境にある方は、ぜひご覧ください。

以上、埼玉県民の一人として勝手に紹介させていただきました。





 


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  • 2017.11.18 Saturday
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  • 18:04
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