「沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ」令和元年6月23日

「沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ」

令和元年6月23日


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令和元年6月23日、靖国会館にて『沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ』がしめやかに営まれ、会場には入りきれないほどたくさんの人が集いました。


友人一同を代表して荒岩宏奨様より『沼山光洋さんの志操と行動について』詳しくお話がありました。沼山さんは靖国会の事務局長として知られていますが、その靖国会という組織の始まりについて先ず説明がなされました。

昭和35年に起きた山口二矢烈士による
社会党の浅沼稲次郎党首刺殺事件に衝撃を受けた塙三郎先生が、
「日本の再建は天皇と国民が一体となることが大切である」、「その軸と成るのは、陛下も御神拝あそばされ、国民も参拝する靖国神社のほかにない」という思いから、8月15日に特別参拝を挙行すべきだということを神社側に申しつたえたところ、当時の神社側は8月15日は英霊の最も悲しい日であるから、そういうことはいたしませんと返答されたそうです。
しかし、「最も悲しむ日だからこそ、その日に国民が英霊の前で日本の再生を誓わなければならないのだ」ということを再度申し入れたところ、理解を得られて昭和36年8月15日に第一会靖国忠霊祭が行われる運びとなったのだそうです。その忠霊祭という言葉を意識して、沼山さんは靖国神社の御霊を「英霊」とは呼ばず、天皇陛下に忠義を尽くした英霊であることから「忠霊」であると呼んでいたそうです。

詳細は靖国会のホームページに以下の通り記されています。
『編∃鬚諒發漾騒編∃鬚蓮⊂赦損綾集淒十月浅沼稲次郎社会党党首刺殺事件に衝撃を受けた塙三郎先生が「日本の再建は天皇と国民が一体になる事だ。その軸心になるのは編⊃声劼里曚はあり得ない。陛下も編⊃声劼鮓羯嫁劼砲覆蕕譴襦9駝韻醗貘里砲覆襪里蓮英霊の祭られている編⊃声劼里曚は絶対にない。」と水戸愛郷塾橘孝三郎の友人山本健介老に協力を得、編∋嫁匆颪鬚弔ろうとなった。二人は徳川義親公をたずね参拝会の中心人物になって貰うことを約した。さらに今村均元大将に会い一も二も無く賛成を頂いた。他にも元海軍大将高橋三吉氏や元将官たちが加わり参拝会が発足した。その後八月十五日の終戦の日には、特別の参拝をすることを全会一致でやることにし、編⊃声劼痢崔單栂蛭権宮司に相談したところ「八月十五日は、英霊の最も悲しむ日であるから神社としてはやらない」との返事であった。再度権宮司に面談し「英霊の最も悲しむ日であるからこそ、私達国民は、英霊の前で日本の再建をお誓いせねばならないと思う。」という理由を訴えたところついに神社は、「皆さんが御希望であるならば、やってもよい。」と神社から許しを頂いた。翌昭和三十六年八月十五日第一回編忠霊祭が二十名ぐらいの参加者で執り行われた。徳川義親公を総代に今村均元大将が副総代に、山本健介老が事務局長、塙三郎副事務局長体制が発足した。』

靖国会の創設者である塙三郎先生は、水戸愛郷塾・橘孝三郎門下生であり、五・一五事件では田端変電所を襲撃しているそうです。また橘孝三郎娘婿でもあるそうです。

沼山さんは、その橘孝三郎先生の門下である愛郷塾の大嶋幹男先生との出会いから現在に至る保守本流の活動に邁進してこられたのだそうです。橘孝三郎先生の孫弟子であることから、橘孝三郎先生の愛郷精神「土とま心」という言葉を意識して、至る所で『まごころ』という言葉を大切に用いていたそうです。

沼山さんは天皇陛下の靖国神社への御神拝を並々ならぬ思いで祈念し、その環境を平成の御代に整えようと誠心誠意をもって活動されておりましたが、5月11日に自決されました。

遺言を踏まえ、決して皆さんに誤解して欲しくないこととして、3点ほど憶えてほしいと以下のことが伝えられました。


1、これは自殺ではなく自決であること。

2、天皇陛下の御神拝を祈願し全国の護国神社を巡拝した際、御祭神に命を懸けるとお誓い申していたこと。

3、決して陛下への諫言ではなく、御神拝の実現を整えることが出来なかったことへのお詫びであること。

その思いは、『新時代令和を迎えて』と題された遺言と思われる手記に込められているのでぜひ目を通していただきたいです。

御来賓の先生より追悼のご挨拶があり、沼山さんの人となりが語られました。

  


 
田母神俊雄先生は、靖国会の事務局長を長年務めてくれていた沼山さんが靖国神社前の道路上で割腹自決を遂げたことについて、「彼は日本国民の愛国心が足りなくて天皇陛下の靖国御親拝の環境が整わないことは天皇陛下に申し訳ないといつも言っていた。国民の中には私の発言に対して、自殺を奨励するのかといった軽薄なことを言ってくる人もいるが、全くの間違いだ。このままでは日本は転落してしまうということを、彼は命を懸けて国民に警鐘を鳴らしてくれた。命を懸けてこの国と国民を守ろうという崇高な精神を持つ立派なだったんだ。」とその思いを語られました。


【追記】
沼山さんの盟友で沼山さんが信頼を寄せておりました三澤浩一先生が、沼山さんの自決から三日後に気持ちを伝えるべく各位に宛てたメールがあります。ぜひ読んでいただきたく、勝手ながら転載させていただきました。
沼山さんに戴いた真心に  感謝を込めて御冥福をお祈り申し上げます



 

 



 








 

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