(至急回覧・転送歓迎)大嘗宮の屋根板葺は祭祀の伝統を損はないか

(至急回覧・転送歓迎)

大嘗宮の屋根板葺は祭祀の伝統を損はないか

 

※頂いたメールを転載させていただきました。

同志同憂各位

 

慎んで新しき御代の弥栄を祈念申し上げます。

本年は令和の元年、十月二十二日には即位礼正殿の儀が、十一月十四・十五日には大嘗祭が執り行はれます。

大嘗祭は、新帝陛下が即位後初めて新穀を皇祖天照大御神及び天神地祇にお供へになり、自らも召し上がられ、国家・国民の安寧と五穀豊穣を祈念される一世一代の大祭であり、皇位継承儀式の中で最も日本固有の文化的色彩の濃い祭典です。

 

古来日本人の生命を育んできた稲作と不離一体の精神文化の精髄である新嘗祭と大嘗祭は同一の文化に根差してゐますが異なる点があります。

それは新嘗祭は天皇と国民それぞれが毎年執り行ふ祭りであるのに対し、大嘗祭は天皇が国民の協賛奉仕を得て一代に一回だけ行ひ国家・国民の統合の形を顕現する祭りであることです。

その国民の協賛奉仕の形が、全国を代表して選ばれた悠紀国(今回は栃木県)・主基国(同じく京都府)からの新穀献上であり、両国の新穀を神々に奉る為の大嘗宮(その中心が陛下が祭祀をなされる悠紀殿・主基殿)での祭祀なのです。

大嘗祭を頂点とする天皇祭祀、それと不離一体の関係を持ち式年遷宮を頂点とする伊勢神宮の祭祀は、天地循環の周期(四季)に生かされてゐる生命の姿のままに、人間の生命活動を守り給ふ神々に生命活動の成果である新たな食・衣・住を定期的に供へ感謝・祈願するといふ形で一貫してゐると拝察致します。

それ故、食の中心である穀物が新穀であることはいふまでもなく、神々にお降り頂く御座所として住の要素を持つ悠紀殿・主基殿も変らざる伝統の形のままに新たに採取した茅(かや)で造営され、永遠の瑞々しさを表現してゐるものと存じます。

一世一代の大祭の為にのみ造営される大嘗宮は重大な文化・文明的意義を持ち、それ自体御座所として奉る意義が感じられ、単なる式典の会場と割り切り軽視できるものでありません。

 

その大嘗宮の造営事業に於て、現在、歴史・伝統・文化の営々たる継承が断絶する恐れのある事態が進行してをります。
 

昨日七月二十六日、皇居東御苑にて大嘗宮の地鎮祭が行はれました。
新聞各社の記事は宮中の祭祀を司る掌典職による祭典のあらまし、造営工事を清水建設が予定価額の六割で落札した事実を伝へてをりました。

11月の大嘗祭に向け、大嘗宮地鎮祭 ・産経ニュース(クリック)


ANNニュース(YouTube)

 

問題はこの造営工事の仕様・設計です。大嘗祭は現憲法下では「皇室の公的行事」と解釈され、憲法が内閣の「助言と承認」を要すると規定している「国事行為」ではない為、政府はその詳細を管掌することなく、所管である宮内庁が必要な事業を執行してをります。

宮内庁は即位礼及び大嘗祭の実務を執行する為、昨年十月大礼委員会を組織、その第三回委員会(十二月十九日)で以下の大嘗宮造営方針を示しました。

「前回、平成度は、昭和度まで萱葺きであった帳殿などを全て板葺きへと変更する中で、悠紀殿、主基殿、廻立殿の主要三殿のみを萱葺(かやぶ)きとしたが、今回は、材料調達の困難性や特殊な専門技術者の不足などの状況を踏まえ、一定の工期内での大嘗宮の完成という全体工程上の要請に、コストの抑制などを併せ総合的に勘案した結果、今回は、主要三殿についても、材料調達が容易で工期の短縮が見込める板葺きに変更することとした。板葺きとすることにより、自然素材を用いて短期間に建設するという大嘗宮の伝統は維持し得るものと考えている。」(大礼委員会(第3回)議事概要)

⇒宮内庁 大礼委員会 概要(クリック

 

大嘗宮(悠紀殿・主基殿)の建築は、天武天皇の立制以来「構ふるに黒木(樹皮を剥がぬ丸太)を以てし、葺くに青草(あをかや。茅)を以てせよ」との方針が厳守されて参りました。

その方針は古代の法令書といへる『儀式』や『延喜式』にも「践祚大嘗祭儀」の項で明示されてをります。千三百年以上に亘り、御代御代毎にこの屋根の葺き方は厳守され、戦国時代の長い大嘗祭自体の中断の後にも復興、そして継承されてきました。勿論、日本が近代国家の体制を整へた明治以降も、大正・昭和そして平成とこの伝統の形は守られて参りました。

その背景には、祭祀に於ける大嘗宮自体の尊貴な意味があり、それを守らむとされた歴代の陛下や多くの臣下民草の祈りと努力があつた筈です。瑞々しいイネ科の茅(青草)で葺かれた太古そのままの建物こそが、大嘗祭の核心であるイネの新穀(新米)を供へる祭祀に相応し、先祖から脈々と継承された衣食住のなつかしい原型を体現するものであつたからでせう。

以下に識者の論考をリンクします。

 

・大嘗宮の行方 都立小岩高校主幹教諭・國學院大學兼任講師 中澤伸弘 氏(クリック)

・大嘗祭は茅葺きで 筑波大学名誉教授・日本茅葺き文化協会代表理事 安藤邦廣  氏(クリック)

・板葺ではなく茅葺を〜大嘗祭を古式で営む象徴行為としての屋根 九州大学大学院教授・文化審議会世界文化遺産部会委員 藤原惠洋 氏(クリック)

 

伝統の尊さはそれを「継承」することにより維持・更新されます。生命と同様、「断絶」は伝統を大きく損ひます。

今、天皇陛下一世一代の大祭の伝統が、本来天皇陛下と皇室の尊厳を守るべき宮内庁の見識のない方針により、損はれようとしてゐます。

 

昨年十二月の第三回大礼委員会での造営方針が報道されて後、心ある国民は事態改善に向け動き出しました。
学識者の意見表明、神社関係者による報道・論評、そして伝統工法である茅葺き工法の関係者による宮内庁への要請・意見具申等、水面下で多くの動きがなされて来ました。

しかし宮内庁は現在迄のところ造営方針は既定として、心ある国民の声に耳を傾けようとはしません。
五月三十日に国会内で開催された「萱葺文化伝承議員連盟」の設立総会での宮内庁の担当者へのヒアリングでも、宮内庁側は「大嘗宮は板葺で発注をかけてる」「今回は残念ながら板葺きになる」との答弁に終始しました。

 

宮内庁は経費節約、材料調達や技術者の不足、工程上の都合を理由とするばかりで、日本国及び国民統合の象徴である皇位の文化・文明的背景を体現する大嘗宮の伝統継承に向け、真摯な課題解決への姿勢が感じられないのは国民として悲しいことです。

東京新聞(三月二十五日夕刊)の取材に対し、宮内庁の坪田管理部長(三月末退職)は「板葺きにすることで、自然素材を用いて短期間に建設するという大嘗宮の伝統は維持できると考えている」と答へてゐますが、大嘗宮は国民一般の使ふ住宅や家具とは違ひます。文化・文明的な深い背景があり、それを継承してきたあらゆる時代の日本人の祈りが籠つてゐるのです。
私達令和の時代を生きる日本人は千三百年以上続く伝統の断絶を新帝陛下に負はせ奉らねばならないのでせうか。

⇒大嘗宮に茅葺き残して 文化団体「日本の原風景 世界に発信」(東京新聞WEbクリック)

・大嘗祭でも消える茅葺き 専門家「歴史顧みない象徴だ」(朝日デジタル クリック)

 

茅葺き工法の専門家である安藤邦廣筑波大名誉教授は、大嘗宮造営事業の現段階からでも事態の改善が可能な方策を示唆する提言をされてゐます。

ヽ葺きの工法を平成大嘗祭迄の「真葺(まぶき)」を江戸時代以前の大嘗宮の屋根の葺き方であつた「逆葺(さかぶき)」に戻せば予算は「真葺」の三五%で済む、・宮内庁が懸念してゐる大嘗宮内で陛下が御奉仕される祭祀の安全性の確保の問題は伊勢神宮が採用してゐる茅葺きの下葺きとして板葺きを行ふ方法を参考にすればよい、3の材料と職人の手配も(一社)日本茅葺き文化協会の調査では限られた予算と工期の中で十分に可能、ぢ臂┻椶粒葺きについては同協会も全面的に協力する、等です。

技術的コスト的に無理がないものであれば、発注者側からの仕様変更により、工事の内容を調整することは可能かと存じます。


・一般社団法人日本茅葺き文化協会(クリック)
 

地鎮祭が済み、残る工期は三ヶ月と思はれます。
宮内庁の柔軟な思考と伝統継承に向けた英断、工事受注企業の誠意、関係する民間技術者の技能、有識者の知見の全てを動員・傾注し、日本の文化・文明の風格を顕現する古式ゆかしい大嘗祭をお祝ひすることはできないものでせうか。

今回の即位礼には世界百九十五ヶ国から元首や祝賀使節の参列が予定され、我が国始まって以来のグローバルな式典になるものと思はれます。

また、来る令和二年には天皇陛下が名誉総裁をお務めになる東京オリンピック・パラリンピックが開催される関係もあり、世界の人々の眼が我が国の皇位継承儀式に注がれるでせう。

その様な重儀の斎行に当り、国費全体から見れば僅かの経費節約と事務的手続きの確実性のみを優先して、悠久の歴史を持つ大嘗宮の建築様式を変容し悪しき前例を作ることは、皇位の国際的尊厳を損ふことになりはせぬかと憂慮するものです。

 

所管官庁である宮内庁、更には国民を代表し皇位継承儀式の歴史・伝統・文化に基づいた斎行に責任を負ふべき政府や理解ある国会議員諸氏に国民の衷心からの声を伝へるべき時かと存じます。

宮内庁ホームページ ご意見・ご感想フォーム(クリック) 

首相官邸ホームページ ご意見・ご感想フォーム(クリック) 

 

仮令国民の要請の声が当局を動かすに至らなくとも、それは公的な記録として残り、次回以降の大嘗祭をより本来の姿に近付けてゆく為の布石となります。

古来日本人は天壌無窮の神勅を信じ、悠久の理想に真心を尽し、本当に大切なものを守つて来ました。

 

国民の皆様が一人でも多く、この問題に関心を持たれることを乞願ひ所信を送らせて頂きました。

同志同憂、友人知人へのこの問題の周知にご協力賜はれば幸ひです。

 

新嘗の会 世話人 小田内 陽太 


第59回 靖国忠霊祭 令和元年8月15日(木)

第59回 靖国忠霊祭

※頂いたメールを基にご案内申し上げます。

天皇陛下靖国神社御親拝祈願


皇紀2679年 令和元年


第59回 靖国忠霊祭


皇室の弥栄を祈念いたします
 

ま心こめて忠霊へ感謝の誠を奉げ御親拝を祈願申し上げましょう



【日時】 令和元年8月15日(木)13時

     ※12時45分までに着座願います


【受付】 11時より靖国神社参集殿


【集合場所】 靖国神社参集殿
 

【玉串料】 お1人さま3000円目安



【靖国会事務局】

靖国会ホームページ(クリック)

 


以上ご案内申し上げます


新橋駅定例演説会7/31(水)

新橋駅定例演説会7/31(水)


 
7月31日水曜日の新橋駅前演説会です。こちらも24日と同じく写真掲載のリクエストが御座いましたので、遅ればせながらUPさせて頂きました。
 










 


 
梅雨が明け、暑い暑い新橋でした。お集まりくださった皆様に感謝申し上げます。

新橋駅定例演説会7/24(水)

新橋駅定例演説会7/24(水)


 
7月24日水曜日、参議院選挙が終了し、3週間ぶりと成った新橋の演説会です。写真掲載のリクエストがありましたので、遅ればせながらUPさせて頂きました。
 

 

 

 

 






 




 
この日の新橋は、翌日から「新橋こいち祭」があるそうで、暑い中、作業員の方が会場の準備に追われていました。毎年この祭りの準備を見ると、もう一年が経ったのかと夏を実感します。
 
 

 


 

【お知らせ】次回の新橋駅定例演説会は7/24(水)

【お知らせ】次回の新橋駅定例演説会は7/24(水)



 


毎週水曜日恒例となりました敬天新聞社主催による新橋駅前の街頭演説会は、参議院選挙(7/4公示~7/21投開票)に伴い、選挙期間中はお休み致します。

次回の演説会は7月24日水曜日(16時集合〜19時迄)と成りますので宜しくお願い致します。


 

 




 

 
 

 




 


 

 


「真心の侍」

「真心の侍」

真心とは、辞書によると『他人のために尽くそうという純粋な気持ち』とある。また「しんしん」と言い『迷いや疑いのない真実の心。また、純真無垢な心』であると解説する。

二つの意味を併せて、人に当て嵌めてみると『他人のために純粋に尽くし、迷いや疑いの無い真実の心を持つ人』ということになる。

令和元年、この僅か二ヶ月足らずの間に、国内では凄惨な事件が相次いでいる。児童を狙った無差別殺人、親殺し子殺し、警察官襲撃事件・・・。生きるために食べ物を必死に求めていた貧しい時代ではなく、食料が満ち溢れ年間600万トンの「食品ロス」を抱える我が国内の現在における事件である。

 

『万能足りて一心足らず』・・・取り合えず、生きていく糧はなんとか持ち合わせているが、心にまことが欠けている人々が巷に満ち溢れている。

 

そんな現代に、「真心」を持って国や他人を思いやり、自分の信じた道に迷いや疑いを持たず、まことに命を懸けるという「侍」のような人が、本当に・・そして身近にいたんだということを教えて頂いたと同時に、この自分の不甲斐無い半生を振り返ると、今は恥ずかしくて堪らず、なんとも言いようのないどうしようもない気持ちでいっぱいです。

令和元年六月二十三日、靖国会館にて「沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ」が行われました。沼山さんの人柄は、多くの諸先輩方が言われている通り、本当に年上だとか年下だとか関係なく、とにかく心配りをして下さる方でした。故に、私もまた沼山さんの真心にふれ、陰ながら沼山さんを尊敬しお慕いしていた一人です。

沼山さんと初めて言葉を交わしたのは、ずいぶん前の話に成りますが、ある右翼活動家が呼びかけをして行われた抗議活動の現場でした。とにかく行く先々でお見掛けしていたので私の方からご挨拶をさせて頂きました。それからというもの、私は沼山さんとは比べようのない若輩者であるのに、沼山さんは抗議デモや勉強会の会場で私を見つけると丁重にご挨拶をして下さいました。

驚かされたのは、私はいつも職業柄、カメラを持って駆けまわっているのですが、あるパーティーでいつも通り出席者の皆さんを撮影していると、沼山さんが「ご苦労様です。ちょっと、そのカメラを貸して下さい」と言って私のカメラを手に取ると、そのカメラを私に向けて「いつも撮ってばかりだから、たまには写ってください」と言って、私をカメラで撮ろうとして下さったことです。

他人を撮ることには慣れている私でしたが、自分が撮られることには慣れていなかったので、「私のような未熟者が写真に写るのはまだ十年早いです」というようなことを言ってお断りをしたことがありました。それでも別の機会に何度か同じように声を掛けて頂き、沼山さんにカメラで撮って頂きました。

街宣の遠征先で集合写真を撮っても、常に他人にカメラを任せることの無かった私は、気が付けばこれまでの活動に関する自分の写真が一枚もありませんでした。沼山さんのさりげない『真心』が切っ掛けで、私も今では活動の布石として写真に写るようになりました。

また何年も前の話ですが、石和温泉(山梨県)で催された大吼出版の新年会に出席した際、隣の席になった沼山さんが、私が仕事の都合で宿泊しないで帰ることを知ると、「私も宿泊しないで帰らないといけないので、よかったら私の車で一緒に帰りましょう」と言ってくださり、家まで送ってくださったことがありました。このとき、一緒に帰ると言っても私は埼玉で、沼山さんは都内の御自宅ですから、申し訳ないと思って断ったのですが、沼山さんは「取り敢えず方向は一緒だし、ついでですから」と言って車に乗せて下さいました。

道中、帰る途中に毎年楽しみにしている景色があると言って、公道の橋の上から、小さな集落の灯りを見下せる場所を教えてくれたのを覚えています。これと同じように靖国神社の境内でお会いすると、年下の私に驕り高ぶることなく神社のゆかり等、知っていることをそっと教えてくださいました。遠い山梨からの帰路は二時間半くらいの道のりでしたが、色々な話を聞かせて頂き、あっという間でした。

途中、携帯で誰かとメールのやり取りをしていたので、心配になって訊ねたら、学生の娘さんがアルバイトが終わってファミレスで待っているということでした。女の子が遅い時間までバイトをしているので迎えに行く約束をしていたようです。「何か好きな物を食べて待ってろと言ってあるから大丈夫ですよ」と沼山さんは笑って言っていましたが、私が埼玉で車を降りた時は、既に時計は夜十一時半を回っていたと思います。娘さんを迎えに行く頃には午前零時を回っていたに違いありません。その娘さんの姿をこの度靖国会館で初めてお目に掛かることができ、沼山さんとの出会いと真心を思い出しました。

 

諸先生諸先輩方のお話から、沼山さんの活動と経歴の深さを知り、その崇高な精神に敬意を込めて『真心の侍』だと感じました。私など数えるほどしか言葉を交わしておりませんが、それでも感じることのできた沼山さんの素朴なお人柄を伝えたくて、とりとめのないことを書いてしまいましたがお許しください。合掌(関口拝)







 


「沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ」令和元年6月23日

「沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ」

令和元年6月23日


(クリック)







令和元年6月23日、靖国会館にて『沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ』がしめやかに営まれ、会場には入りきれないほどたくさんの人が集いました。


友人一同を代表して荒岩宏奨様より『沼山光洋さんの志操と行動について』詳しくお話がありました。沼山さんは靖国会の事務局長として知られていますが、その靖国会という組織の始まりについて先ず説明がなされました。

昭和35年に起きた山口二矢烈士による
社会党の浅沼稲次郎党首刺殺事件に衝撃を受けた塙三郎先生が、
「日本の再建は天皇と国民が一体となることが大切である」、「その軸と成るのは、陛下も御神拝あそばされ、国民も参拝する靖国神社のほかにない」という思いから、8月15日に特別参拝を挙行すべきだということを神社側に申しつたえたところ、当時の神社側は8月15日は英霊の最も悲しい日であるから、そういうことはいたしませんと返答されたそうです。
しかし、「最も悲しむ日だからこそ、その日に国民が英霊の前で日本の再生を誓わなければならないのだ」ということを再度申し入れたところ、理解を得られて昭和36年8月15日に第一会靖国忠霊祭が行われる運びとなったのだそうです。その忠霊祭という言葉を意識して、沼山さんは靖国神社の御霊を「英霊」とは呼ばず、天皇陛下に忠義を尽くした英霊であることから「忠霊」であると呼んでいたそうです。

詳細は靖国会のホームページに以下の通り記されています。
『編∃鬚諒發漾騒編∃鬚蓮⊂赦損綾集淒十月浅沼稲次郎社会党党首刺殺事件に衝撃を受けた塙三郎先生が「日本の再建は天皇と国民が一体になる事だ。その軸心になるのは編⊃声劼里曚はあり得ない。陛下も編⊃声劼鮓羯嫁劼砲覆蕕譴襦9駝韻醗貘里砲覆襪里蓮英霊の祭られている編⊃声劼里曚は絶対にない。」と水戸愛郷塾橘孝三郎の友人山本健介老に協力を得、編∋嫁匆颪鬚弔ろうとなった。二人は徳川義親公をたずね参拝会の中心人物になって貰うことを約した。さらに今村均元大将に会い一も二も無く賛成を頂いた。他にも元海軍大将高橋三吉氏や元将官たちが加わり参拝会が発足した。その後八月十五日の終戦の日には、特別の参拝をすることを全会一致でやることにし、編⊃声劼痢崔單栂蛭権宮司に相談したところ「八月十五日は、英霊の最も悲しむ日であるから神社としてはやらない」との返事であった。再度権宮司に面談し「英霊の最も悲しむ日であるからこそ、私達国民は、英霊の前で日本の再建をお誓いせねばならないと思う。」という理由を訴えたところついに神社は、「皆さんが御希望であるならば、やってもよい。」と神社から許しを頂いた。翌昭和三十六年八月十五日第一回編忠霊祭が二十名ぐらいの参加者で執り行われた。徳川義親公を総代に今村均元大将が副総代に、山本健介老が事務局長、塙三郎副事務局長体制が発足した。』

靖国会の創設者である塙三郎先生は、水戸愛郷塾・橘孝三郎門下生であり、五・一五事件では田端変電所を襲撃しているそうです。また橘孝三郎娘婿でもあるそうです。

沼山さんは、その橘孝三郎先生の門下である愛郷塾の大嶋幹男先生との出会いから現在に至る保守本流の活動に邁進してこられたのだそうです。橘孝三郎先生の孫弟子であることから、橘孝三郎先生の愛郷精神「土とま心」という言葉を意識して、至る所で『まごころ』という言葉を大切に用いていたそうです。

沼山さんは天皇陛下の靖国神社への御神拝を並々ならぬ思いで祈念し、その環境を平成の御代に整えようと誠心誠意をもって活動されておりましたが、5月11日に自決されました。

遺言を踏まえ、決して皆さんに誤解して欲しくないこととして、3点ほど憶えてほしいと以下のことが伝えられました。


1、これは自殺ではなく自決であること。

2、天皇陛下の御神拝を祈願し全国の護国神社を巡拝した際、御祭神に命を懸けるとお誓い申していたこと。

3、決して陛下への諫言ではなく、御神拝の実現を整えることが出来なかったことへのお詫びであること。

その思いは、『新時代令和を迎えて』と題された遺言と思われる手記に込められているのでぜひ目を通していただきたいです。

御来賓の先生より追悼のご挨拶があり、沼山さんの人となりが語られました。

  


 
田母神俊雄先生は、靖国会の事務局長を長年務めてくれていた沼山さんが靖国神社前の道路上で割腹自決を遂げたことについて、「彼は日本国民の愛国心が足りなくて天皇陛下の靖国御親拝の環境が整わないことは天皇陛下に申し訳ないといつも言っていた。国民の中には私の発言に対して、自殺を奨励するのかといった軽薄なことを言ってくる人もいるが、全くの間違いだ。このままでは日本は転落してしまうということを、彼は命を懸けて国民に警鐘を鳴らしてくれた。命を懸けてこの国と国民を守ろうという崇高な精神を持つ立派なだったんだ。」とその思いを語られました。


【追記】
沼山さんの盟友で沼山さんが信頼を寄せておりました三澤浩一先生が、沼山さんの自決から三日後に気持ちを伝えるべく各位に宛てたメールがあります。ぜひ読んでいただきたく、勝手ながら転載させていただきました。
沼山さんに戴いた真心に  感謝を込めて御冥福をお祈り申し上げます



 

 



 








 

禊祓厳修会の集い・小山市街頭演説会/令和元年6月1日(土)

禊祓厳修会の集い・小山市街頭演説会

令和元年 6月1日(土)

令和に成って、ちょうど一ヶ月と成る6月1日、栃木県小山市駅頭にて「禊祓厳修会」の主催による街頭演説会が行われました。この演説会は毎年定期的に行われています。平成31年3月16日に続き、司山会 楠 誠 会長にお誘い頂き、弊社も参加させて頂きました。我が国が敗戦の歴史を刻んだ昭和という時代が、遥か遠い昔のように成りつつある中、戦勝国の主導の下に行われてきた戦後教育の弊害により、先人たちの崇高な精神が忘れ去られようとしています。先人たちは、命を懸けて日本の明るい未来を後世に託しました。
しかし乍ら、今日も昨日も一昨日も、親族間の殺人事件や、自暴自棄の者による無差別殺傷事件といった凄惨な事件が相次いで起きています。私たちの活動の意義と必要性が益々増しているのではないかと感じ得ずにはいられません。国体護持、国家主権、家族の絆、環境破壊、道徳の荒廃、我が国が抱える諸問題を様々な視点で訴えました。


 



 

 

















 

社会の不条理を糾す会/新宿 (令和元年5月18日)

社会の不条理を糾す会

令和元年5月18日(土)

新宿駅西口


令和元年5月18日(土)新宿駅西口前にて「社会の不条理を糾す会」主催による定例街頭演説会が行われました。御代替わりから半月が過ぎ、令和初の街頭演説会となりました。

この時代の節目に際し、改めて戦後日本が歩んできた道のりを振り返ると共に、新たな御代に伝統文化の継承と日本人としての誇りを、どのようにして後世に伝えていくのか? 世に蔓延る不条理を各弁士が問題提起し、訴えました。
 
 

 



 

 

 



 

 














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令和元年 五一五奉納演武『武魂継承祭』

令和元年

五一五奉納演武『武魂継承祭』



 
 令和元年五月十五日、初夏を思わせる晴天の下、靖国神社能楽堂にて、恒例の五一五奉納演武『武魂継承祭』が行われました。

この奉納演武は、今から八十七年前の昭和七年五月十五日に起きた五一五事件の意義を継承し、歴史を風化させない為、事件で犠牲になられた犬養毅命・田中五郎命・事件に携わられた青年将校・陸士候補生・民間の方々全ての御霊を案じると共に、区々たる一身を顧みず世直しに起ちあがった五一五烈士、祖国の永劫を祈りつつ戦陣に斃れられた二百四十六万六千余柱英霊の御霊に、感謝のまごころを籠めて鍛錬の成果を奉納するため、大地社 水谷浩樹代表と志を共にする武道家達によって毎年執り行なわれている崇高な催しです。

五一五事件は、塗炭の苦しみをなめる農民・労働者を憂い、政権党利に盲ひたる政党と之に結託して、民衆の膏血を搾る財閥に対し、檄文「日本国民に檄す」に見る主張のもと、五一五烈士が昭和維新を念願し決行した事件です。


国歌斉唱



 



 




大地社 水谷浩樹代表

 



 

 





 



 

 



 



 





 



 

 





 







 



 



 

 






 


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