晴れ、時々にわか詐欺

晴れ、時々にわか詐欺

日本有数の大手企業も政治家も、相変わらず嘘偽りの事件がニュースを賑わせている。

旭化成に小渕優子。名高い企業の社長や政治家が涙ながらに謝罪する姿は、最近もう見飽きた感がある。

ハッキリ言ってまたかよ、という思いである。

数々の実績を積み重ね築き上げた信頼は、その昔、日本の職人が持っていた「見えない所に装飾を施す粋な計らい」に似た、真面目で誠実な日本人の気質によるものだと思っていた。

その信頼を傘に、歴代の人たちの努力を無にするような事件を現世代が起している。


ゆえに「なぜ事件は起きたのか」という見出しのニュースを最近よく目にするが、見えない所で手を抜き、誤魔化し、利鞘を稼ぐ、せこい拝金主義に成り下ったからだと思うだけだ。

偽証も偽称も偽装も虚偽も、人を欺き何らかの利益を得ようとしたのだから、どれも詐欺みたいなものである。

そう考えると、本当に世の中、詐欺が増えたものである。

一攫千金を夢見て詐欺を働き、大金を手にしたら起業するか遊んで暮らす。そんな宝くじを買う感覚で詐欺に手を染める者もいるだろう。

詐欺を繰り返すプロの詐欺師はもとより、にわかアマチュア詐欺が増えているようだ。

そんな折、こんな詐欺事件のニュースを耳にした。

殺人を請け負うと偽り、現金をだまし取ったとして、フィリピン在住の会社役員(59)と、その妻(57)が詐欺罪で東京地裁に起訴されていたという事件だ。


報道によると、この2人は昨年2〜4月、関東地方の歯科医の男(60)から、男が交際していたフィリピン在住の同国籍女性の息子2人(10歳代)の殺害を依頼され、その費用として現金約550万円をだまし取ったとされている。

警視庁は今年7月、金を受け取って殺人を請け負ったとして2人を暴力行為等処罰法違反容疑で逮捕していた。ところが2人は実際に殺人を実行しておらず、容疑を詐欺に切り替えて起訴されたということだ。

歯科医は殺人を依頼したとして暴力行為等処罰法違反容疑で書類送検されたという。

殺人を請け負った会社役員が逮捕されたのは当然だが、頼んだ歯科医は何で書類送検で済むのだろう?被害者がいないからか?せめて名前を世に曝すくらいの制裁は受けるべきではないか。それとも依頼をした理由に同情の余地でもあったのか?

ところで国内では復讐代行業や殺人請負業と称する者がインターネットで広報活動をしている。

当紙は数年前に、女性から「復讐代行業者に依頼をして申込み金を払ったのに実行しない。騙された。」という相談を受けたことがある。

業者の言い分は「お客様は殺人依頼だったので、ご希望の相手が死に至るように、呪術師の先生が藁人形で呪う儀式を行った。儀式は今も続けている。報酬に見合う仕事をした。」というものだった。

新宿の警察に女性は騙されたと相談したが、警察は、その業者と女性の依頼に至るやり取りを確認し、あきれて取り合ってくれなかった。

それにしても、色んな詐欺があるものだ。

赤川次郎の小説に「晴れ、ときどき殺人」というタイトルがあったなあ。

今日の天気は晴れ。にわか雨より、にわか詐欺、にわか殺人に気を付けて出かけよう。




 

下劣な犯罪のカンフル剤

下劣な犯罪のカンフル剤

パキスタン中部パンジャブ(Punjab)州で、警察官から集団性的暴行を受けたと告訴したが受理されなかった10代少女が警察署前で焼身自殺を図り死亡したというニュースを見た。

また、女性への性的暴行事件が横行しているインドでは、2歳の女の子が17歳の男2人に連れ去られて暴行を受け、公園で意識不明の状態で発見された。同じ日に5歳の女の子が酒に酔った近所に住む男3人に集団暴行を受けるという事件も起きた。

外国で起きたニュースだけど、治安が悪いから非道な事件が起きるのか、非道な者が多いから治安が悪くなるのか。

人間は理性を失うと、何とも非道なことをするものだ。

人間は、本能を自由に解放したら、いったいどんな事をするのだろうか。

例えば丸1日(24時間)、世界中で全ての法律を無効にしたらどうなることだろう。

平和といわれる日本では、多くの人が法を超越した理性によって治安を保とうとするのか。

それとも、金が欲しい者は強盗を行い、怨みのある者は殺人を犯し、性欲のある者は強姦し、人間の本性を思い知らされることになるのだろうか。

法が無くなった途端に、私利私欲の為に何をすべきかを冷静に判断し行動するとしたら恐ろしいものだ。

平穏な社会秩序を保つには、道理条理を語るだけでは無力である。今更ながら法律が極めて重要であるのだと改めて思う。

多種多様な事件が勃発している今日、犯罪には法で対処するしか手立てが無い。それが現実である。

凶悪犯罪には、根本的解決とならなくとも、厳罰が最も有効なカンフル剤だ。

幼児を集団強姦するなんて下劣な輩は、世界共通の法律で厳罰に処すべきである。



 

「いじめ」という名の卑劣な犯罪

「いじめ」という名の卑劣な犯罪


兵庫県警機動隊に所属する20代の男性巡査2人が相次いで自殺を図っていたという。

1人は9月28日機動隊独身寮の自室で首を吊り死亡し、もう1人は10月6日に同じ独身寮で自殺を図り意識不明の重体であるという。

亡くなった巡査の遺書には上司・先輩らに「いじめを受けた」という趣旨の内容が書かれていたという。


昨今、「いじめ」が発端で自ら命を絶つ事件が後を絶たない。

政府は「いじめ」が発端で死に至る深刻な事態を踏まえ、平成25年に「いじめ防止対策推進法」を施行した。

いじめ防止対策推進法は「いじめ」について、児童や生徒に対して同じ学校の他の児童・生徒が行う心理的・物理的な影響を与える行為で、行為を受けた児童・生徒が心身の苦痛を感じているもの、と定義している。

つまり「いじめ」とは、対処能力の低い子供達を保護する観点から、子供の人間関係に限って指す場合が多い。

しかし、現実には子供も大人も関係なく「いじめ」は人が集い生活を共にする社会の中に何処でも存在する。

大人の「いじめ」は、長い時間を他人と共有することになる会社といった勤め先で起こり得る。だから最近よく耳にする「パワハラ」として扱われる場合も多い。


大人にせよ子供にせよ、現実には至る所で人間関係には能力や立場によって弱者強者の関係は生じる。だから「いじめ」に負けないように自分自身が強くならなければならない。とずっと思っていた。


だが、しかしである。最近のいわゆる「いじめ」のニュースをみていると、大勢で一人を河原に呼出し集団で暴行を加え、川に入ることを強要したり投げ込んだり、サンドバックやボロ雑巾のように傷つき壊れるまで徹底的に心身共に痛め続ける。

こんなものは、もう「いじめ」とは言えないのではないか?

今や「いじめ」とは未成年の加害者を保護するため、或いは問題が生じた組織・集団を保護する為に、その犯罪の凶悪性をオブラートに包むためだけの呼称に過ぎないのではないか?


本来「いじめ」という言葉は幼稚園児や小学校低学年が複数で一人に対して悪口を言い、心を傷付けるレベルを指す言葉だと私は思っている。


自殺に追い込んだ原因によっては、「いじめ」という一連の行為の中から傷害や暴行といった部分的な罪をみつけて問うのではなく、「いじめ」という一連の行為を一括りにして刑事罰を問えるように、新たに準殺人罪や致死罪のような厳しく罪を問える法律を定め「いじめ」を犯罪として定義するか、「いじめ」と呼ぶのを改めるべきではないだろうか。

 

児童虐待増加にみる事件の要因

児童虐待増加にみる事件の要因

全国の児童相談所が平成26年度に対応した児童虐待の件数が前年度比20・5%増の8万8931件で、過去最多を更新したことが厚生労働省のまとめで分かった。

出生率の低下による少子化問題が年々深刻になっている。それなのに児童虐待が増加傾向にあるとは何と皮肉なことだろう。

日本の未来を担う子供の減少も、健全な子供の育成を阻む児童虐待も、社会経済の根幹を揺るがしかねない問題だ。

児童虐待とは、児童の保護者やその周囲の人間などが、児童に対して虐待を加えることである。

近年問題と成っている児童虐待を細かく分けると、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、育児放棄があるという。

この中で、目新しいのは心理的虐待だ。

心理的虐待は「生まれてこなければよかった」「殺してやる」などと児童に暴言を浴びせたり、刃物を示して脅したりする行為を指すという。また、夫婦喧嘩を目の前で繰り広げたり父親が母親を殴る行為を見せるなどの行為も心理的虐待と見做される。

暴力的でありながら、本人には物理的痕跡が何一つ残らないため、傍目には最も気付かれにくい虐待である。

この心理的な暴力行為が虐待であると認知されたことで、このほど厚労省が発表した虐待増加を押し上げる結果となったそうである。

この心理的虐待に該当する行為は、今に始まった事ではなく昔からあったものだ。

少年少女の非行を題材にした昔のドラマには、必ずと言ってよいほど非行に走った切っ掛けとして「生まれて来なければよかった」と親が幼い子供に暴言を吐くシーンや、夫婦喧嘩で父親が母親を殴る等の暴力的なシーンが描かれていた。

両親の言葉の暴力、子供への言葉による虐待は、身体的な虐待と同様に、その子の後年に精神的な病を引き起こす。

精神医療に携わる専門医などからは、人間関係の不適応(友だちとの関係が困難等)、知的な障害(学校の成績の悪さ等)、感情に左右されやすい行動(攻撃性等)などの問題や、長期に及ぶ影響として自尊心の低さ、不安、うつ、解離、対人関係における感受性の強さなどが指摘されている。

昔は「夫婦喧嘩は犬も食わない」とか「喧嘩するほど仲がいい」とよく言ったものだ。また、子供に厳しい言葉を投げかけてもゲンコツをかましても「愛の鞭」と言われたものだ。

それで済まされたのは、相手の事を真剣に考え、自己犠牲を顧みず相手を守ろうとする姿(懸命に働く姿など)が、生活を共にする中で十分相手に伝わっていたからだろう。相手を敬愛する心があったということだ。

そんな言葉も今や死語になりつつある。それは親が子供によって、或いは家族によって自由な時間を奪われたという我が儘で身勝手な考えを持つようになり、相手(子供)の存在と自由を排除しようとする愛情の欠片もない個人主義を家族間でも表すようになったからだ。

我が儘を人権とはき違え、我慢をストレスとはき違える。

こんな隔たった自由主義・個人主義を正さなければ、少子化と虐待の根本的な問題解決には至らないのではないか。

現代に起こり得る様々な事件に精通して言える要因ではないだろうか。

日本人のモラルを露呈するマイナンバー

日本人のモラルを露呈するマイナンバー

昨日13日、マイナンバー制度関連の事業などの受注に便宜を図る見返りに現金を受け取ったとして、厚生労働省情報政策担当参事官室室長補佐の男が警視庁に収賄容疑で逮捕された。

今月5日に施行され、番号を通知する作業が始まったマイナンバー制度は日本に住む全ての人に12桁の番号を割り当て、税や社会保障関連などの個人情報を結びつけて管理する制度で、行政手続きが便利になるといわれている。

その一方、個人情報に結びつくマイナンバー制度に便乗した詐欺が発生しており、消費者庁や警察が便乗詐欺やマイナンバーの流出被害に注意を促す事態に成っている。

そんな折、茨城県取手市では、住民票を発行する自動交付機の設定ミスで、誤ってマイナンバーを記載した住民票69人分を発行してしまったと明らかにした。

マイナンバーを利用する個人ばかりか、取り扱う行政側にも、いまいち理解が周知されていないのが現状ではないのか?見切り発車も甚だしい制度であると言わざるを得ない。

インターネットの普及により、コンピュータの技術進歩が目まぐるしいが、どんなに進歩したところで、それを操作し取り扱うのは人間だ。個人情報をコンピュータで管理し、そのセキュリティーをコンピュータに委ねたところでマイナンバーの流出は防げないだろう。

悪党にとっては、マイナンバーが様々なシステムと関連付けられ、利用の幅が広がれば広がるほど、個人情報を集約したマナンバーの付加価値は上る(政府は集約せず分散していると説明)。価値が上がれば上がるほど、入手する為に金を積む者もいれば、売る者も出てくることだろう。

マイナンバーの流出の最大要因は、電話や訪問で言葉巧みに聞き出そうとする輩ではないし、コンピュータウィルスでもない。それを扱う側である行政や医療機関といった組織の中にいる人だということだ。

マイナンバーのメリットばかりが紹介されているが、現在マイナンバーが第三者に知られると、どのようなデメリットが考えられるのか丁寧に説明し、個人の危機管理能力を高めるべきだ。

また、正当な理由のない者がマイナンバーを聞くことや知らせることを禁じる様々な保護法が講じられていると言うが、マイナンバーを使用する権限を持つ組織・機関を明確にし、新たに法令を集約した「マイナンバー保護法」でも作って、違反者に厳しい罰則を科すことを国民にも分かりやすくするべきだ。

でなければ、インターネットの閲覧時や何らかの会員登録や通販サイトで、全く関係がないのにマイナンバーを記入させる者が現れたり、教えてしまう個人がでたり、流出経路は人から人へ幅が広がるばかりである。

まあ結局は、モラルハザード(道徳心の荒廃)に歯止めをかけなければ、どうにもならないということを厚労省のITエキスパート官僚が収賄で逮捕されて教えてくれた訳だ。厚労省は今回の逮捕でマイナンバー流出の恐れはないと言っているが、あくまでも「今回は」である。

 

学校給食の異物混入

学校給食の異物混入

神戸市が去年11月から始めている公立中学校の学校給食で、虫や髪の毛など異物の混入が相次いでいるという。

神戸市立の中学校の給食は現在33校で導入されているが、来月からは計81校での本格導入が予定されているそうだ。

市によると、去年11月から今年7月までの9か月間で、異物混入が確認されたのは、虫が11件、髪の毛などが42件、紙やビニール片が16件、木片と金属片が1件ずつ、その他のものも15件あり、計86件にものぼるという。

またまた隣国のニュースかと思うほど杜撰な事件でビックリだ。

去年11月に始まった直後から「異物が混入している」という生徒たちからの声が相次いでいたそうだ。

問題発覚以降、神戸市は業者に対して、調理室に入る際にエアシャワーでホコリを落とすなど、衛生管理の徹底を求めていたという。

しかし、業者も杜撰なら委託している市も杜撰であると言わざるを得ない。健康被害の報告が無かったからと言って市は公表をせず結果として86件もの異物混入を許したからである。

給食を担当している二社のうち、有限会社徳島屋の大西幸治社長は「異物混入の根絶に向けて、ひとつひとつ努力していく」といい、市は業者への再発防止の指導を徹底するも、契約上から業者は変えられないと見解を示している。

この市の見解は頭が狂っているとしか言いようがない。楽しい給食の時間である筈なのに、子供たちは毎日毎日調理された品々を、今日は大丈夫かと不安に苛まれながら食べ続けなければならないのか。

市は契約上の問題より、異物混入を問題視するべきだろう。

業者の改善努力の言葉も、市の徹底指導の言葉も、誠意を表す時期はとっくに過ぎているだろう。市は給食業者を育成するシュミレーションゲームでもしているつもりか?

一般の食品会社が同じことをやったら、消費者庁や厚労省や保健所から厳しいお咎めをうけ、業務停止に成りかねない問題である。市は公募で業者選定を行った責任者として、原因が究明され改善が確認されるまで給食の配給を停止するのが当然だ。あるいは真面な企業なら、原因を徹底究明し製造ラインの改善を確認するまで自ら営業を休止することだろう。

異物混入が一年に4〜5件くらいのことならまだしも、一年も経っていないのに開始から86件も発生していたなんて、業者のみならず神戸市の対応の異常さに理解が出来ない。

先日、買ったパンに髪の毛が入っていたと偽って、全国のパン屋さんに電話を掛けまくり、慰謝料を騙し取っていた女が逮捕されていた。レシートが無くても女の言葉だけで慰謝料に応じていたお店が沢山いたということだ。

それくらい食べ物を扱う業者さんは、みんな消費者に誠心誠意、気を配っているということだし、商品に髪の毛が一本でも入っていることが業者として致命的である問題と受け止めている。これが一般社会の常識的価値観だ。

客は、本当に嫌な思いをした店は、次から利用しなければ済む。しかし、子供は出された給食を受け入れなければならない。選択は市に委ねられているのだ。今回の問題は、給食がいやなら弁当を持参しろという以前の問題である。

こんな神戸市のような甘ったるい対応をしているのを見ると給食業者が議員や職員の身内だったりしないだろうかと疑いたくもなる。

今日の給食は何だろうという楽しみが一変し、今日は何が入っているのだろうと恐る恐る食べなければならない生徒が気の毒でならない。

 

第3次安倍改造内閣は売国か愛国か

第3次安倍改造内閣は愛国か売国か


第3次安倍改造内閣が発足した。

安倍首相は首相官邸で記者会見し、第3次改造内閣を「未来へ挑戦する内閣」と位置付けた。

大きな目玉の無い人事との前評判だった組閣は、安保法制やTPPといった従来の話題はさておき、特に変わった話題と言えば「1億総活躍相」って何だろう?と新設大臣の仕事のあいまいさを指摘する声ばかりだ。

一方、ネットでは河野太郎が国家公安委員長に任命され、安倍首相は正気の沙汰かと「親と子」を取り違える者まで現れ大炎上の騒ぎとなっているようだ。

それは河野太郎が、言わずと知れた、あの「河野談話」を発し日本に大きな後遺症を負わせている売国奴・河野洋平の息子だからである。

同じ血の通う親子と言えど、鳩山由紀夫と鳩山邦夫の兄弟のように別人格の者もいる。河野太郎は自民党の重鎮・森喜朗や青木幹雄を老害呼ばわりして退陣すべきと言うこともあれば、外国人の国籍取得を容易にしようとしたり、首相の靖国神社参拝を止めれば日中関係を改善できると発言したりすることから親父同様の売国奴と扱われることが多々ある。

河野洋平の息子であるゆえ何かと売国奴扱いされているが、タカ派の新保守との呼び声もある。いずれにせよ安倍政権にとってはトラブルメーカーに成り得る御仁だ。

その河野太郎が国家公安委員長の重責を担うとは、安倍首相の「その心は」如何に?

売国か愛国か注視しなければならない人事である。


 

元祖つけめん「大勝軒」

元祖つけめん「大勝軒」
 


大手家具店、ヤクザ組織、政治政党の分裂騒動は記憶に新しいが、今度はラーメン屋さんかよ〜。


今年4月に創業者・山岸一雄氏が亡くなった人気ラーメン店「大勝軒」の弟子60人で構成された互助組織「大勝軒のれん会」から脱会した弟子31人が、今年8月に「大勝軒・味と心を守る会」を発足したということで、大勝軒が分裂か!とメディアが騒いでいる。朝から報道番組でも報じていた。


「守る会」代表の一人で「お茶の水、大勝軒」店主・田内川真介氏(38)は、「2代目からひどい仕打ちを受けた。山岸さんの後継者として認めるわけにはいかない」などと話し、真っ向から対立する構えを見せているという。

 

田内川氏によると、7月末に「のれん会」から16人の弟子が脱会。同会に所属していなかった弟子らと合流し、8月1日に「味と心を守る会」を全国31店で発足した。



分裂が決定的となったのは、山岸氏の告別式が執り行われた4月8日だった。田内川氏らによると、焼香を終えると、雨が降る中、葬儀が終わるまで外で待たされ、火葬場の場所も知らされなかったという。
 


火葬場を探し、たどり着いたが「身内だけしか入れない」と、古参を含め約20人の弟子は門前払いを受けたそうだ。


これに対し、一部の報道によると「東池袋大勝軒」2代目店主・飯野敏彦氏(47)は、火葬場で弟子らを門前払いをしたことは認めたが、「自分が言葉にすると影響が大きい」と詳細は語らなかったという。



これだけ聞くと、多くの弟子たちに「大将」と呼ばれ親しまれていた山岸一雄の葬儀で、その弟子たちを門前払いするなんて、なんて2代目飯野は酷い奴なんだ!という印象を受ける。実際、メディアもそう報じている。

 

確かに、葬儀で門前払いをするなんて、日本人として言語道断である。

 

しかし、一方的な言い分だけを鵜呑みにしてはならない。その言語道断の行為をなぜ2代目飯野が行ったのか?葬儀で門前払いをされた者に心当たりがあるのではないかということを、大勝軒山岸の味を愛する一人として、一言申し上げたい。

 

それは、山岸大将が2代目飯野を心から信頼していたという事実を、ずいぶん前の事ではあるが、生前の山岸大将から直接話を聞いたことがあるからだ。

 

だから、弟子がテレビの報道番組で2代目飯野を「自称2代目」だと批判していたが、確かに山岸大将が「お前が2代目」と最初に命じたのではなく、飯野氏が自ら2代目と名乗るようになったのかもしれないが、間違いなく山岸大将が跡目を認めた男である。

 

批判をするなら大勝軒を名乗るのをやめるか、飯野の「2代目」を正論で剥奪し、堂々と「山岸大勝軒」を名乗るべきだ。

 

そもそも分裂騒動は今に始まった話ではないだろう。

 

「大勝軒」が「池袋大勝軒」と名乗り、暖簾とユニホームを紺色の下地に白抜き文字に統一し、互助組織「大勝軒のれん会」を発足することに至った背景に時間は遡るのではないか?

 

嘗て、2007年3月20日池袋東口開発で旧店舗が移転をすることになり閉店するまで、山岸大将の右腕として本店を支えていたのは、14年間も修行して最後の店長を任されていた大番頭の柴木俊男氏である。

 

それでも柴木氏は2代目を名乗ることを許されず、山岸大将から独立し「東池おはこ大勝軒」と名乗る店を南大塚に出している。

 

生前の山岸大将は、柴木氏を2代目にしなかった理由を、「身体が衰え柴木に店を任せていたが、自分の目が届かないことをよいことに、勝手にユニホームをピンク色に変えたり、看過できない金の使い方をしたから信用が出来なくなった」と言っていた。

 

しかし、14年も身を捧げた柴木氏の気持ちも分からなくはない。自分より若造の飯野が2代目を継承するばかりか、ろくに修業もしていない若造たちが相次いで「暖簾分け」を許されていたからだ。

 

実際、大勝軒の「暖簾」を街で見かけ入ってみると、「ここの店主は大勝軒のラーメンを食べたことがあるのか?」と思うような味のラーメンを出す店がある。

 

そういう店は、やはりネットで批判反感を浴びており、後日ふたたび行ってみると「大勝軒ぽい味」にようやく近づいていることがある。そんな「にわか大勝軒」が多いのである。

 

このことについて山岸大将に尋ねると、大勝軒が好きで名乗りたい奴がいたら誰にでも名乗らせてやりたいから、ロイヤリティーも貰わず名乗らせていると言っていた。遠い東北地方の人から手紙で大勝軒の味を教えてくださいとお願いされたときは、快く教えてやったことがあるという話も聞かされた。だから「にわか大勝軒」も、あながち偽物とは言えないのである。


戦後間もない腹を空かせた厳しい時代を生きてきたがゆえに、お腹を空かせたお客さんに腹いっぱいに成って帰って欲しいという思いを込めて、下積み時代に、ゆでる際に残った麺をかき集めて食べていた「まかない」からヒントを得て、安価で山盛り一杯の「つけ麺」を考案したと山岸大将は語っていた。


 

山岸大将という男は、大勝軒の麺と器のように、心が太く大きな男だというのが私の第一印象だった。

 

しかし、にわか店が増え続け、経営権を第三者に売り渡す弟子も現れ、本物かどうかも怪しい店が増え続ける中、野放しにできないと考える者が現れた。そんなことが背景にあり、2代目飯野をはじめとする者が本家の伝統を統一し、しっかりと味を守りたいという思いで「大勝軒のれん会」を発足するということだった。

 

私がこの話を聞くきっかけとなったのは、旧店舗が移転して間もないころ、山岸大将の下で数週間しか修業をしていない者が、暖簾分けを許され「にわか大勝軒」が増え続けているという投書が送られてきたからだ。

 

そして、東洋大学の白山キャンパスに学食として出店した大勝軒もその一つで、店主である板垣量彦は旧東池袋店の単なる常連客で修行もしていないのに山岸大将が数百万円で暖簾分けを許したという内部告発的なものだった。

 

また、にわか弟子の板垣が東洋大学常務理事田淵順一(当時)の女?であるという蝪烹咤和緝充萃役・小森美加に大勝軒の経営権なるものを譲渡したことが発端で、山岸大将が若いころ最初に下積みをした阿佐ヶ谷「栄楽」の系列店「丸長」のある阿佐ヶ谷に、山岸大将の顔を潰す事になるというのに、何の断りもなく大勝軒をオープンしたことで揉めているという内容であった。実際にオープン当時、2代目飯野が何度も阿佐ヶ谷店の説得にあたっていた。


この内容は当時、怪文書でも流れて「怪文書は柴木の仕業ではないか」と疑う声もあった。もちろん柴木氏は否定した。


 

今思えば、過去のどれもこれも、今起こっている分裂騒動も、山岸大将の太っ腹な性格が招いた自業自得である。

 

今や、近所のスーパーで「大勝軒」と書かれたカップラーメンやインスタント製麺を見かけるまでになったが、どれも山岸大将の味とは程遠いものばかりで残念だ。


大勝軒を愛する者に自由気ままに名乗らせたいという気持ちの故か、晩年は味と伝統を度外視しても金儲けに目がくらんでしまった故のことか、だれが大勝軒を変えてしまったのか、山岸大将の亡き今は、真相は藪の中である。


 

因みに、私は山岸大将にも伝えていたことだけど、大勝軒滝野川店(移転前の)と大勝軒蕨店は、2代目飯野が作る新店舗のつけ麺より基本に忠実で旨かった。あとは名ばかりの味か、アレンジしすぎで記憶にない。


その大勝軒蕨店が「中華屋 光」に名を改めた。看板メニューのつけ麺「もりそば」も無くなり、メニューも味も普通の中華料理店になった。それでも店内には若造だったころの店主と山岸大将のツーショット写真や「人生は試練に打ち勝て」と山岸大将が書いた直筆の色紙が大切に飾られてた。


多くの弟子たちが大勝軒の代紋を巡り争っている最中、まるで「いつまでも親父のスネをかじるように大勝軒の名にすがっていてはならない。自分の腕で勝負しよう」と言わんばかりのタイミングである。


金を出しても喧嘩をしても「大勝軒」の名が欲しい人たちばかりなのに、自ら大勝軒の暖簾を下げ、つけ麺(もりそば)を止めた蕨の店主は、誰よりも大勝軒山岸とラーメンを愛した男なのかもしれない。口数の少ない真面目そうな店主なので言葉を交わしたことが無かったから、私の勝手な妄想に過ぎないかも知れない。


それにしても、あの蕨の「つけ麺=もりそば」を食べられないと思うと残念だ。


騒動をよそに、客席を眺める山岸一雄人形は、のんきに満面の笑みを浮かべている。





当紙過去記事

行列の出来るラーメン店、大勝軒と東洋大田淵常務の関係

http://keiten.net/img/taisyoken.html


今度は自殺かよ

今度は自殺かよ

昨夜9時ごろ、東京都大田区田園調布の警視庁田園調布署で、宿直勤務中の地域課の男性警部補(29)がトイレで頭から血を流して倒れているのが見つかったそうだ。警部補のそばから拳銃が見つかり、同署は拳銃自殺を図ったとみて詳しい状況を調べているという。

現職による痴漢、強姦、乱交、詐欺、強盗殺人と事件が相次ぎ世を騒がしているけれど、今度は自殺かよ〜。

まあ警官の拳銃自殺も珍しくなくなったけど、犯罪から人々を守るための道具を使って我が身を排除するとは、自分自身の行いに余程許せないことがあったのだろうか。

それとも、後を絶たない世の不条理と対峙する毎日に憤りを感じ、身も心も病んでしまったのであろうか。

決して現代の若者が魅力を感じる、やればやるほど儲かるという職種ではないし、規律が厳しいことは百も承知であろうから、警察の仕事を選んだ当時は、銭金ではなく正義感に満ち溢れた志があったのだと思う。

理由はどうあれ、人命を誰よりも尊重すべき立場の者が、絶対にしてはいけない事である。

病院に搬送され、幸か不幸か一命を取りとめたそうであるが、免職となっても生き延びたことを天命だと受け止め、違うかたちでまた社会に貢献できるよう立ち直って頂きたい。

それにしても、世の中は病んでいる。


 

誇るべきものは何か

誇るべきものは何か

9月29日フジテレビ『直撃LIVEグッディ!』という番組で、菅義偉官房長官がタレントの福山雅治さんと吹石一恵さんの結婚について意見を求められた際、「この結婚を機に、ママさんたちが『一緒に子どもを産みたい』という形で国家に貢献してくれればいいなと思っています。たくさん産んでください」と答えたことが、失言ではないかと騒がれている。

安藤優子キャスターから「福山雅治さんの結婚っていかかですか?」と聞かれ、「本当によかったですよね」とお祝いの気持ちを表しての事である。

それを、「国が子供を産めと強制するのか!」とか、「女性は子供を産む機械ではない!」と批判反感の声を上げている人たちがいるようだ。

少子高齢化が問題と成っており、我が国の将来にとって深刻な事態を及ぼすことは明確だ。

経済や社会保障といった身近な生活に直結しており、雇用の問題も外国人労働者に依存しざるを得なくなる。この国の存立に大きな影響を及ぼしかねない問題だ。

ゆえに、福山・吹石結婚が注目されていることから、おめでたいことだと心から祝い、その祝いムードが、本当にたくさんのカップルに広がれば良いという思いを語ったまでだろう。

国の行く末を案ずるものとして当然だ。

結婚や子供を産むことを強制する発言だと反発する人がいるけれど、女性の生き方が多様化する社会において、子どもを産むか否かも、籍を入れるか入れないかも、個人が自由に選択できる御時勢ではないか。

しかも、菅官房長官がフジテレビで何を発言したところで強制力など全くないではないか。

それでも、菅官房長官は誤解を招いてはいけないと釈明を行う事態になった。

まあ、失言を誘い話題を得たいメディアもさることながら、何を言っても政府に異論反論をしたい人達がいるのだから、政治家は充分発言に注意を払うことは必要だろう。

また、どこで発言しようが自信と誇りを持って責任ある発言をして頂きたい。

舌の根も乾かぬうちに、釈明するほど自分に自信が持てない政治家は、軽々しくメディアなど出るべきではない。

しかし、今回の騒動は、会話の前後を無視した言葉狩り、揚げ足取りに他ならない。

一般の人たちが、ネットで何を言おうと構わない。私もその一人である。

だから言わせてもらおう。

現代の少子化は深刻な問題なのは確かである。

結婚することや子供を産むことが、誰かより偉いとか劣るとかそんな事をいうつもりはない。

人の特性、存在意義は多種多様だ。社会の貢献の仕方も人それぞれである。

誇るべきものは何か?それは人それぞれなのである。

ゆえに、何の取りえもないけれど、只ひたすらに、ガムシャラに、自分なりに一生懸命、子供を育ててきたという全国のお父さんお母さんに言いたい。

それがどんな境遇であろうとも、例え未婚であろうと無かろうとも、子供を授かり一生懸命育てたことは、その人にとって何より誇りを持って良い事なのである。

国家社会への貢献をやり遂げたと胸を張ってほしい。


 


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